Hazuki Natuno

Hazuki Natuno

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Biography

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はじめまして、夏野葉月です。
私は躁うつ病&解離性同一性障害を闘病している写真家です。
解離性同一性障害って聞き慣れない病名だと思うのですが、いわゆる『多重人格』のことです。
私は私(葉月)の他に、ゆかり(3歳の女の子)、学(20代の青年)、覚(7歳の男の子)の合計4人の人格で、日々の生活を暮らしています。

「虐待」「いじめ」「学級崩壊」を経験して育つ

私は人生の様々な場面で「マイノリティ」として暮らしてきました。
3歳のころ、両親が離婚し母子家庭で育ちました。
離婚前は父から、離婚後は母方の祖母や母から性的・身体的・精神的虐待を受けて育ちました。
小学校2年生のとき母親が心の病で精神科に入院しました。母の退院後は闘病する彼女を看護しながら小学校に通いました。
その一方で小学校では同級生からいじめ、教師からは体罰を受け、小学校5年生に学級崩壊を経験しました。
そうした理由から10歳のときには自殺をしたいと考えるようにもなりました。
小学校6年生のときから不登校になり始め、中学校1年生の12月に完全に公立中学に通学することを辞めました。
理由は家庭での虐待や学校でのいじめといった環境による精神の限界があり、同時に学校に行くメリットが感じられなくなったからです。

「不登校」や「フリースクール」を通じて成長

その後、14歳のときに新聞で不登校の子どもたちが通い学ぶフリースクールというものがあることを知り、15歳のときに東京都北区にあるフリースクール「東京シューレ」に通い始めました。
東京シューレには18歳まで在籍し、チェルノブイリ原子力発電所事故で被爆した子どもたちが暮らすウクライナの首都キエフの病院へ慰問旅行をしたり、ピースボートが主催した日本が太平洋戦争で侵略したアジアの島々を巡る船旅に参加しました。
ウクライナでの旅行では、ソビエト連邦崩壊食後のロシアに立ち寄り、同時にキエフではチェルノブイリ原子力発電所を管理していたプリピャチからキエフに移住した家庭へのホームステイもさせていただきました。
また、ピースボートの船旅では、フォトジャーナリストの石川文洋さんや韓国人の元従軍慰安婦の女性など様々な方々と知りあい、とても貴重な経験をしました。
東京シューレを卒業後は、フリーターとしてフランス料理店の厨房や箱根の高級旅館、Jリーグの試合の警備員など様々な職種で働きました。

法政大学への入学と「躁うつ病」と「解離性同一性障害」の発病

私は社会で働く中で自分の勉強不足を痛感するようになり、20歳のときに東京都立新宿山吹高校通信制課程に進学しました。
高校で勉強が面白くなった私は、22歳のときに社会人学生枠で合格し、法政大学人間環境学部に入学しました。
人間環境学部は文系の環境学を総合的に学べる学部で、経済や法律や哲学の他に、環境法・行政法・地方自治学など環境問題に関わる様々な学問を学びました。
そして25歳のときに、双極性障害(躁うつ病)を発病しました。
その後自殺未遂や精神科への入院を経験し、闘病しながらも学業を続け、7年間かけて大学を卒業しました。卒業時、私は30歳になっていました。
その後アルバイトや派遣社員として働きながら、子どもの頃から趣味で続けていた撮影の技術を生かし、フリーランスのカメラマンとして仕事を始めました。

日本写真芸術専門学校への進学と「キヤノン写真新世紀」での受賞

仕事として撮影の受注をする中で自分の技術不足を痛感し、2010年に渋谷にある日本写真芸術専門学校に進学しました。
そして入学1年目の34歳のときに、株式会社キヤノンの主催する「キヤノン写真新世紀」で佳作を受賞しました。
私の受賞作は「change of life」という私の闘病や家族の歴史を通じて「一緒に生きよう」というメッセージを込めた作品でした。
作品を推薦してくださったのは写真家の蜷川実花さんでした。
受賞をきっかけにカメラマンとしての仕事に加えて、写真作家としての活動をはじめました。
ただ、専門学校進学と前後して様々な人格が私に現れ、多重人格者として日常を送るようになりました。
その後、2011年3月に東日本大震災が起き、専門学校を休学せざるえないほど心身の状態を崩しました。
私に元々複数いた人格も増え、一時期は20人以上の人格が現れることもありました。

私の人生を変えた「旅」と「小笠原」

休学後の2011年11月、病状の悪化した私は駅のホームで飛び込み未遂を図りました。
幸い一命を取り留めましたが、元々悪かった家族との関係は更に悪化し、当時の私は住む場所もありませんでした。
当時住民票を置いていた区役所の福祉担当から、DVを受けた女性の保護シェルターへの入居を勧められました。
虐待を受けた後、トラウマのケアや治療を受けていなかった私は、家族からの被害を思い出すことが怖く入居できませんでした。
その解決案として、私の別の人格が「小笠原諸島に行きたい」と言い出し、実際に旅行を手配したため、私たちは小笠原に旅行することになりました。
2011年12月年末から2012年1月にかけて、私は小笠原諸島父島を初めて訪れ、「地球にはこんなに美しく、穏やかな場所があるのだ!」と感動しました。
生まれてはじめて、シーカヤックをしたり、鯨を撮影することもできました。

写真専門学校の「卒業」と「小笠原への移住」の実現

旅行後、まだ病状の安定していなかった私は再度自殺未遂を経験したことで精神科に入院し、入院中に主治医やソーシャルワーカーと話しあい、アパートを借り一人暮らしをはじめました。
2012年4月から日本写真芸術専門学校に復学し、カメラマンとしての仕事も再開しました。
そして、2012年から2013年の年始年末に再度小笠原を旅行し、前回撮らせていただいた小笠原の人々に撮らせていただいた写真をプレゼントしました。
写真館のない小笠原では写真をプリントでもらうことは貴重なことで、どの方もとても喜んでくださいました。
出会った方々の笑顔を見るうちに、「もっとこの島の人々を撮りたい」「小笠原に移住したい」という気持ちを持つようになりました。
2013年3月、日本写真芸術専門学校を無事卒業し、卒業記念に個展「change of life」も開催しました。
日本写真芸術専門学校の卒業制作展で行われた卒業作品展アワードでは最優秀賞もいただき、個展と関連して雑誌「精神看護」にも作品を掲載していただきました。
1年の休学を経て、無事卒業できたことは本当に嬉しかったです。
卒業後の2013年4月、念願の小笠原諸島父島へ移住しました。
東京から1000km離れた離島であるがために、当初様々な苦労もありました。
父島では平日小笠原村社会福祉協議会で事務のアルバイトとして働き、休日は小笠原で暮らす人々に取材し、写真を撮影していました。

小笠原の「写真展開催」とスイスの「ビール/ビエンヌ国際写真フェスティバル」での展示

2013年5月、スイスのビール/ビエンヌという都市で毎年開催されている「ビール/ビエンヌ国際写真フェスティバル」のディレクターから私の作品を展示したいと連絡を受け、2013年9月に作品「change of life」を展示することになりました。
9月には小笠原からスイスに渡り、写真フェスティバルのオープニングパーティやポートフォリオレビューに参加しました。
2014年5月から6月にかけて、公益社団法人日本写真協会が主催する「東京写真月間2014」の公式プログラムとして、私の小笠原の人々を撮影した作品「Bonin smile」が展示されることが決まりました。
小笠原という離島からスイスや東京での展示を成功させるにはいろいろな工夫や努力が必要でしたが、様々な方々の協力の元、無事展示を終えることができました。
大きな機会を与えてくださったビール/ビエンヌ国際写真フェスティバルのディレクターの方々日本写真協会のスタッフやギャラリーの皆様に深く感謝しています。

鎌倉への「移住」と「結婚」、そして「虐待からの回復」

写真展「Bonin smile」が終わった後、私は小笠原を離れ、東京でWebデザインの勉強をすることに決めました。
ですが自然豊かな小笠原で1年5か月暮らした後に、東京の環境に馴染むことはできず、私はあっという間に心身の体調を崩しました。
「これではいけない。私に足りないのは海と自然だ」と痛感した私は、東京や関東で撮影の仕事を受注できて、かつ海や浜辺のある環境を探しました。
そして選んだのが鎌倉でした。
元々私は鎌倉や湘南が好きで、気が向いたら1人でふらりと小旅行を楽しみに訪れていました。
海や森や自然と寺社仏閣が多く、文化的な風土を持つ鎌倉で、私は理想的な物件を見つけることができました。
そして2016年2月に東京から鎌倉へ移住し、同時に出張写真サービス「夏野写真館」を立ち上げました。
移住と並行して、2016年から2018年にかけて、解離性同一性障害の専門医とトラウマケア専門のカウンセラーと巡りあうことがことができ、虐待とそのトラウマから回復するための治療に取り組むことができました。
そして、2017年2月に鎌倉で現在の夫と出会い、2018年に結婚しました。
鎌倉への移住と結婚、そして虐待のトラウマに対する治療を経て、いまに至ります。

私があなたに「伝えたいこと」

長いプロフィールを読んでいただき、本当にありがとうございます。
私が私の長いようで短い、変化に富んだ人生から学んだことは「人間はより良い方向に変わることができる」ということです。
虐待やいじめや闘病など、人間は様々な逆境に見舞われます。
ですが、そうした逆境も私やあなたを成長させてくれる一種のチャンスだということもできます。
若い頃の私は、生きていて本当に辛く「生きたい」「生きよう」と思うことすらできませんでした。
そして、闘病する一方で、何度も自殺未遂を繰り返してきました。
ですが、そうした経験を得た上で、いま私は「生きていてよかった!」と断言することができます。
それは、友人や夫も含め、様々な人々から「愛すること」を学ばせていただけたからです。
そして「旅」や品を「創る」ことを通じて、成長してきた過程で得た学びや情報を世界にシェアしていきたいと考えています。
このサイトや私の文章や作品が、受けとってくださる方の幸せに貢献できるものを作っていきたいと思っています。

【写真についての教育歴:出身大学、出身校】

2013年 日本写真芸術専門学校Ⅱ部写真科卒業
2006年 法政大学人間環境学部人間環境学科卒業

【展覧会歴 個展】

2018年 Bonin life 〜世界遺産・小笠原に生きる〜 , オリンパスギャラリー東京 , 新宿 , 東京
2016年 sign , リコーイメージングスクエア新宿, 新宿 , 東京
2015年 change of life , space Jing , 表参道 , 東京
2015年 Life 〜世界遺産・小笠原の輝き〜 , 東急リバブルコミュニティプレイス , 田園調布 , 東京
2014年 Bonin smile , エプサイト , 新宿 , 東京 (社会法人日本写真協会主催 東京都写真月間2014国内企画展)
2013年 change of life , Gewölbe Galerie , ビール/ビエンヌ , スイス (ビール/ビエンヌ国際写真フェスティバル企画展)
2013年 change of life , 浅草浪花家 , 浅草 , 東京

【展覧会歴 グループ展&アートフェア】

2014年 The epSITE Selections , エプサイト , 新宿 , 東京
2014年 東京都写真月間2014国内企画展 「いのちの伝承―日本の世界自然遺産をめぐるいとなみ」巡回展 , 東川町文化ギャラリー , 東川町 , 北海道
2013年 fotofever2013 , carrousel du louvre , パリ , フランス
2012年 Japan, private moments. New Japanese photography. , スペイン
2010年 キヤノン写真新世紀2010東京展 , 東京都写真美術館 , 恵比寿 , 東京

【出版歴(雑誌、写真集出版など)】

2016年 雑誌「CAPA」11月号 掲載
2016年 雑誌「ふぉとさい」vol.13号 掲載
2014年 雑誌「カメラマガジン」8月号 掲載
2013年 雑誌「精神看護」4月号 掲載

【受賞歴】

2014年 Humanity Photo Award , ドキュメンタリー賞
2013年 International Photography Award 2013 , 佳作
2013年 日本写真芸術専門学校卒業作品展アワード , 最優秀賞
2010年 キヤノン写真新世紀 , 佳作(蜷川実花選)