Hazuki Natuno

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狂人の論理

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私は狂人だ。
「自覚していると言うことは狂ってなんかいないよ」というおためごかしはどうでもいい。
単に事実を言っているだけなのだから。
だからこれから書くことはある狂人の単なる戯言に過ぎないと心に留めておいてほしい。

ある友人が何軒も病院を変えて、やっと信頼できるソーシャルワーカーに巡りあえた。
ある日、カウンセリングのために病院を訪れるといつも明るいそのソーシャルワーカーが暗く沈んでいたという。
理由を尋ねると、ある患者の恋人が自殺したとのことだった。
その患者は四十代の女性でアルコール中毒と薬物治療のために入院していた。
その患者の恋人だった男性は彼女のために尽くして尽くして尽くしすぎて、彼の方が疲れ切って死んでしまった。
そして救われないことに、彼女のために死んだ男性は彼がはじめてではないのだった。

この話を聞いたとき私は「ああ、仲間がいる」と思った。

幸い私はまだ一人の恋人も殺してはいない。
ただし自分が死にかけたことと、相手を病気寸前に追い詰めたことがある。
そういう意味で私は彼女を笑えないのだった。

昔、渡辺淳一の「失楽園」を読んで失望したことがある。
繋がったまま共に死ぬという幻想は疲れた会社員たちを癒したろうが、私には物足りなかった。
むしろ阿部定やジャンヌ・モディリアーニの末路を知ったときの感動のほうが遙かに大きい。
私は「死んでくれ」と言われたらいつでも死ぬのだと思っている。
言われなくても好きな人のために無条件で死ねるかどうか。
それが恋であると認識している私は間違いなく狂人だ。
問題は私は命を捧げる代わりに、相手に魂を要求する。
自然、私たちの恋愛は相克に満ちた戦場になる。
電話をしながら、駅の壁を殴り合うような、血みどろの戦場に。

「もう、死なせて」

バレンタインデーはたった二週間前だった。
その翌日に彼に投げつけたティーポットは見事に砕け、天井にもカーテンにも飛び散った紅茶は乾いた血にも似ていた。
彼の声はそれよりもはるかに濡れていた。
そう、私が傷つけすぎたから。

「別れたい」と私が言って、そのときの恋人がただ受諾したとき私は薬を飲み、首から紐を巻き付けてベランダから飛び降りた。
その後、何度後悔したかわからない。
別れたくなかった。別れたくなかった。「別れたくない」と言って欲しかった。
だから彼の心がとうに離れていても、追い詰められ、逃げたがっていても私は縛り付けた。
離れたくなかったし、離したくなかった。

だけど彼が体を抱え込んで世界のすべてを拒絶して呻くような声で呟いたとき、これ以上追い詰めたらこの人は本当に死ぬんだと思った。

だから別れた。
まだ好きだった。
とても、とても。

何度追いかけようと思ったかわからない。
そうしたら私はストーカーと呼ばれる犯罪者たちよりもはるかに気味の悪いなにかに成り果てていたのだろう。
化け物とか怪物とか呼ばれるなにかに。

だから我慢した。
何度も何度も何度も。

もしも彼の願いが「死にたい」ではなくて「一緒に死んでくれ」だったら私はなにも迷わなかった。
だけど彼は死ぬには健全すぎて、その彼の健全さを私は愛したのだった。

そう、私は狂っている。
狂っているがゆえに正常な人間、健全な精神、純真な感性の持ち主に惹かれずにはいらえない。
四月に降る淡雪のような白い存在に出会うと惹かれてどうしようもない。
その癖、私の中の闇がその白さを私の暗さで染め墜としたくなる。
今更私は白くなどなれない。
だから一緒に泥沼に堕ちたいのだ。

その一方で愛する人を無闇に殺したい訳ではない。生きたいのだ。

だから死にそうな相手は選ばないようにしている。
闇は闇を惹きつける。
私の闇は闇を持つ人を惹きつけるようだ。
闇も、薄く、甘く、強く、濃く、苦く、様々だ。
短い人生でも何度か恋をしていると嗅覚が働く。
故に「この人は私に関わったら死ぬだろう」という人は好きにならないことにしている。

矛盾に満ちている。満ちすぎている。
命を欲しがって、でも死なれたくないのだから。

一緒に死ぬなんて生温い。
結末はいらない。
殺し、殺される果ての末に生きたい。
それが狂人の論理。

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