Hazuki Natuno

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ゆかりと私の大切な皆さんへ

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あまりにも面白いことが立て続けに起こったので、書き記しておく。

はじめに述べておく。
私は「夏野葉月」の中にいる「葉月」と言う人格だ。
私の中には他に、ゆかり、学、覚と言う人格がおり、合計4人の人格で暮らしている。
1977年から2021年1月21日まで私はこの体の主人格だった。

2021年1月22日に、主人格の役割が私からゆかりに交代した。
今まで私が8割から9割の日常生活を主に送り、残りの1割ほどが他の3人の人格で分担されていた。
今はポジションが変わり、ゆかりがメインの人格として日常の8割から9割を送り、私を含めた残りの3人が約1割から2割を負担している。

こんな風にいつかなるとわかっていたけれど、肉体と言う名前のチームのメインのピッチャーを変わると言うのは思っていたよりも淋しい。
ただ、元々この身体の持ち主はゆかりだった訳だから、ゆかりがこの肉体をコントロールできるほど情緒が成長した事は大変喜ばしいと本当に思う。

ゆかりはまだ主人格であることに慣れていないから、私が話しかけないなど私が深く眠りについていると感じた場合ちょっとパニックになって泣きわめいたりする。
私は彼女が幼い子供だとは正直思わない。
彼女の実感では、今もまだ彼女は10歳から12歳位の年齢の感覚らしい。

私の考えでは彼女はただ単に純粋で無垢なだけで、十分に大人な女性だと思う。
ただ本当に純粋な分、感情の発露や表現方法がダイレクトで子供のようなところがあるので、本人や周りも彼女を子どもだと思ってしまうところがある。
十分に彼女は成熟した1人の大人だ。

ただ、あまりにも無垢なので見ていて微笑ましい。
そして、彼女の純粋さを守り育てられたことが私の誇りでもある。
私が傷ついてきた分彼女は傷つかなかったわけだから。
そして私が傷ついてきたのは、彼女守るためだったとも思うから。
だから、今こうして肉体にいる時間が本当に少しでもわずかでも、私に全く悔いは無い。

考えてみて欲しい。
人間はいつか死ぬ時、肉体を離れる。
だけど必ず魂は地上に残された人々を見守っている。
愛は死んだときに、肉体から離れて消える訳ではない。
愛は心の中に生まれた時に宇宙とつながって、この世界を世界を見守っている。

私はいま疲れているので、ゆかりも含めて他の人とほとんど話せない。
でも身体で眠っている時間が全てでは無いので、こうしてほんの少し起きていられる時間を利用して、友達にメッセージしたり、こうして音声入力で日記を書くことができる。
こうした複雑な事情を全ての人が理解できるとは私も思っていない。

私たちの有り様はとても複雑で、だからこそ美しいと思っている。
雲の模様が空の中で風に形を変えるからこそ美しいように、私たちの心の有り様も、1つにとどまるものでは無いのだろう。
ゆかりが永遠に肉体にいるわけでもないし、私が永久に意識を保てるわけでもない。
どんな人間も必ず存在に終わりが来る。

そのことをきちんと意識して生きているのか、それとも目を瞑って忘れたふりをして生きるか。
どちらが幸せかと言われれば、私は圧倒的に前者だ。
自分がいつか肉体を失うとわかって、だからこそ永遠に生きられることを知っている。
肉体的に遺伝子残さなくても、こうした社会的遺伝子を残すことができる。
私の残した文字や言葉、文章や写真の中に、私は生きている。

ほんの少し後悔してるのは、もう少し肉体を経験する時間を大切にできなかったことだ。
人間は愚かだから、いつも今日と同じ明日が来ると思っている。
愛してる人に、明日も会えると思っている。
実際には、そうではない。
今日の別れ際のさよならが、最後の挨拶かもしれないのだ。

だから、どうか思い出して。

身体を大切にしてね。
あなたの隣にいる人を大切にしてね。
そばにいる人を信頼してみて。
生まれたご縁を育ててみて。
いまのあなたの過程を信じてみて。

すべては永遠に続かない。
だからこそ、生きる価値があるのだから。

ずっと、愛してます。
ゆかりと私の大切な皆さんへ。

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