Hazuki Natuno

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特別でない、ただの一日

特別でない、ただの一日

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45歳の誕生日を迎えた朝は、よく晴れていた。
水着に着替え、自転車を走らせて、海に行く。
白い砂浜を歩いて、波が足を濡らすのを楽しむ。

泳げない私には、この波を楽しむのは難しい。
それでも、海に浮かんで見上げる空は、青かった。
私はゆっくりと目を瞑り、深呼吸した。

40歳までに死にたい。
それが幼い頃からの夢だった。
初めて自殺したいと願ったのは10歳の時だ。

25歳で躁うつ病を発病し、32歳で解離性同一性障害も発症していると知った。
20年の闘病生活の中で、何度自殺未遂をしただろう。
私は海の中で、5年前の最後の自殺未遂を想い出した。

あのときも、海にいた。

2016年8月14日、あの夜は稲村ヶ崎にいた。
10mの高さのある崖から飛び降りて、岩場に叩きつけられた。
岩場で海の波飛沫に濡れながら観た夜の闇を、いまでも覚えている。

人喰いのような荒い波が、私の全身を濡らした。
あのときほんの少し身体を海に投げ出せば、死ねたんだろう。
私が海に飛び込む前に友人が助けてくれたことも、頭を4針だけ縫う軽傷で済んだことも、全て幸運でしかない。

あれから、5年。
あの後、何度も自殺願望は起きた。
友人や医師や警察に助けられながら、なんとか実行はしないで生きてきた。

自分のどこかに、まだ闇がある。
傷は塞がれることがなく、血が乾くこともない。
生きている限り、この胸の痛みと一生付きあうことになるんだろう。

それでも。

死のうとした5年前の自分。
闘病を始めた20年前の学生。
死を願い始めた35年前の子ども。

そのいずれとも違う45歳の私がいる。

いまも泳げないし、生きていることを楽しいとは思えない。
それでも死のうとはしていない。
死にたいと思うことはあるとしても、それでも。

もう一度、海に潜る。
いつか死ぬ自分を、夢想する。
死ぬ前に遺したいものを、夢に観る。

いままで撮影してきた、写真。
まだ書き上げていない、文章。
自分の生きてきた、過程。

傷は多く、痛みは消えず、過去を忘れることもできない。
生きていることは、私には決して楽ではない。
きっと、それはこれからも変わらない。

私が死んでも、世界は続いていく。
人間が滅びても、この星が続いていくように。
星に寿命が訪れても、宇宙が続いていくように。

どんな物事にも、終わりは来る。
ならば、私はより良いものを遺して死にたい。
より良いなにかを作り、それを手渡してから、死にたい。

死ぬために生きるのではなく、
生きるために生きるのでもなく、
作って、遺してから、死にたい。

瞼を開けると、空は今日も青かった。
私は海から立ち上がり、砂浜に向かって歩いた。
波音は、いまも耳に響いている。

今日は、特別でないただの一日。
いつか死ぬ私が、生きていた、ただの一日。