Hazuki Natuno

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フィルムは旅をする

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「終わりのクロニクル 2」の下巻を読み途中、ひどく疲れた。
川上稔の雄弁な文章は元気なときは楽しめるが静かな朝には不釣り合いだ。
なにがいいだろう。
ダイニングテーブルの片隅には読み途中で積まれて山となった本が転がっている。
「ローマ人の物語」はまだ読む気にはなれない。
「海の都の物語」を読み終えよう。
そう思って積んだ本をどけると「迷宮都市ヴェネツィア」の下から「車輪の下」が顔を覗かせた。
ああ、買ったままにしておいたっけ。
積まれた他の本に比べたら遙かに薄い背表紙をふと手に取ると、ページの間からなにか落ちた。
ゆっくりと腕を伸ばし拾い上げ、日に透かす。
それは6×6のブローニーフィルムだった。

フィルムは、二コマ。
丁寧にビニールで保護してある。
青空を背景に好々爺とその妻とおぼしき人物が自宅とおぼしき家の前で映っている。
老爺は面歯がゆいのか、二コマ目では画面外に逃げてしまっている。
老婆は苦笑しながら引き留めるように彼に向かって手を伸ばす。
撮影者は車の助手席から撮ったようで、サイドミラーに映る影は男女いずれとも知れない。
恐らく、二眼レフカメラで撮影されたものではあるのだろうが。
実家から帰京するに当たり父母を車から記念撮影した、その二コマをプリントでなくフィルムで栞代わりに持ち歩いたこの人はいかなる人だったのだろうか。
本の端から端まで捲れど、面影は見つからなかった。
手元には「車輪の下」とフィルムだけ。

それにしても同じことを考える人がいるものだ、と私は「長いお別れ」を取り上げた。
はらりとページを捲るよりも早く落ちる栞をもう何度目だろう、拾い上げる。
35mmの黒くつぶれたフィルム二コマはなにも加工していない。
何度となく落とし、何度となく拾ったせいで指紋だらけだ。
黒くつぶれすぎて私以外意味もわからないフィルムには二コマ目にだけほんの少し光が写っている。
ヴェネツィアの橋の上から写した、夜の運河の光だ。
プリントしてもつぶれてなにも残らず、本を持ち歩くたび滑り落ちて栞としても意味をなさないこのフィルムを私は後生大事に持ち歩く。
まるで、それ自体が意味を持つかというように。

彼あるいは彼女にとってこのフィルムがなんらかの想い出を持つのであれば、悔やんでも悔やみきれないだろう。
故郷を離れ、父母を偲ぶ手段に彼の人はフィルムを選んだ。
プリントという複製でなく、オリジナルを手元に忍ばせることを。
もしも、願えるならこのフィルムがフィルム以上の想い出として彼の人の中に生き続けますように。

しばらく悩んでブローニーフィルムを「車輪の下」の間に仕舞うと、「長いお別れ」にヴェネツィアのフィルムを挟んだ。
フィリップ・マーロウと旅をする。そんな朝があってもいいだろう。

2008年3月14日記す

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