Hazuki Natuno

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誰もがクリエイターとして「より良く変えること」に参加できる未来と社会を作りたい

誰もがクリエイターとして「より良く変えること」に参加できる未来と社会を作りたい

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おはようございます、夏野葉月@natunohazukiです。
今朝、最近ずっと考えていた疑問が言葉にできるほど明確になりました。
その疑問に共感やアドバイスをいただきたいので、ご意見を募集してみたいと思い、記事を書くことにしました。
長い文章ですが、ご意見やシェアをいただけたらとても嬉しく思います。

私は写真家として作品を作り、カメラマンとして撮影することで金銭で対価を得ています。
写真家としてはプライベートな作品なので、自由にテーマを設定し、自分の予算で取材を行っています。
カメラマンとして撮影するときは、依頼してくださるクライアントの要望に応えて、対価をいただいた上で、ポートレートや建物を主に撮ってきました。
そのような生活を送る中で、疑問に思っていたことがあります。

なぜ、クリエイティブな創作物(写真・文章・デザインなど)をお金でしかやりとりできないんだろう?
なぜ、クリエイターが創作物を必要とするユーザーと直接繋がれないんだろう?

もちろんクリエイターも人間ですし、生きるうえでお金は必要です。
ですが、いまの社会のシステムでは、クリエイターとしての報酬の対価としてお金を必要としていると「事情があり、お金や予算がない」「だがなんらかの理由があり、切実に創作物による手助けを必要としている」人と繋がることができないんです。

例えば、社会をより良く変えるアイデアを持ち、スタートアップやNPOを立ち上げたが、予算が潤沢ではなく活動を広めるためのWeb制作にお金がかけられない。
例えば、病気で働けず、生活やお金に余裕がないが、出産や結婚など家族のために記念に動画を撮ってほしい。
生活保護を受けていてお金がないが、人生を立て直すために履歴書用写真を必要としている。

その人の事業や人生において、問題を解決し、その人の人生や社会をより良く変えるために創作物を必要とする人や団体がいるはずです。
そして、その人や団体を手助けできるスキルや才能を持つ人は、世の中に必ずいます。
でも、その両者が出会う場がない。

もし、創作物を必要とする人が潤沢な資金を持っていたら、クリエイターに出会うことは難しくありません。
仕事として引き受けてくれる人を、持っているお金の範囲で探せばいい。
ただしお金が介在する限り、その出会いには限界があります。
お金がない人はクリエイターと巡り会えないし、クリエイターも潜在的に創作物を求めている人と出会えない。

これまで創作物とその対価については様々な議論がなされてきました。
お金を介さないで創作物を提供すると、そのクリエイターの生活やクリエイターを使って儲けている企業の経済活動が成り立たなくなる。
でも、本当にそうでしょうか?

例えば、これまで創作物を作るクリエイターは、クリエイターに金銭で発注するクライアントや中間に入る仲介業者が介在しなければユーザーと繋がれませんでした。
例えば、広告写真家は広告代理店と契約しなければ、消費者に写真を提供できませんでした。
作家は、出版社を通じなければ本を出版できず、読者に本を届けられませんでした。
芸術家は、作品をギャラリーを通じてしか、作品をコレクターに販売することができませんでした。
クリエイターがユーザーとダイレクトには繋がることができず、クライアントあるいは仲介業者が間に入り、その対価に対する中間マージンでクリエイターを支えることで創作活動は支えられてきました。

ですが、時代は変わりました。
クリエイターはユーザーとダイレクトに繋がることができます。
写真家は、SNSやブログでも写真をファンに見せることが可能です。
作家は、電子書籍を自費出版することで読者に直接本を届けることができます。
芸術家は、インターネットを通じてコレクターに作品を販売することができます。
クリエイターに依頼し報酬を払うクライアントや、クリエイターとクライアントを仲介する仲介業者を介さなくても、クリエイターはユーザーに作品を届けることができるのです。

お金を介さなくても、私たちクリエイターがユーザーに作品を届けことができる環境は、すでに整っています。
では、なぜそうならないのでしょう?

それは「クリエイターが創作するための創作費と生活費を、クリエイターが創作物への対価で稼がなければならない」という固定観念が支配的だからです。
そして「創作物への対価を金銭で受領するクリエイターのみをプロと呼ぶ」という社会通年があり、同時にその社会通念を逆手にとって、創作物に対する対価を金銭で受領することで、自身をアマチュアと差別化するクリエイター自身のブランド戦略が有効な時代があったからです。
そして、その固定観念や社会通念を利用することで仲介業者がクリエイターへの対価を搾取できたほうが、クライアント企業や仲介業者にとって、経済的に便利だったからです。

でもベーシックインカムが普及した時代が来たら、その経済的理由による固定観念と社会通念は一気にひっくり返る可能性があります。

私はベーシックインカムは、近未来に世界に普及すると思っています。
なぜなら、急速的に世界で進む格差そのものが格差による社会問題を生み出しており、その解決法として有用だからです。
また人類は宇宙旅行や自動運転など、想像した事象を創造する能力があるからです。
ベーシックインカムという未来が想像された以上、それが現実化した未来は必ず創造されると思います。
それがどの国で最も早く実現するかどうかは、また別の問題ですが。

(追記するなら、ベーシックインカムが普及した未来において「国」という概念がいまの時代と同じとは限りません。
またベーシックインカムを提供する主体が国ではなく、個人の資産家や企業によってなされる可能性もあると思います。)

もしもベーシックインカムが普及したら、私たちはお金のため、生活費のために働く必要はなくなります。
労働に対する価値観が変わり、お金のために労働することが絶賛された時代が終わり、本当にやりたいことや好きなことのために時間を使うことが推奨される時代が来るでしょう。
お金や時間や労働といった概念や価値観が劇的に転換する時代が来ています。

そうした時代において、創作物を作るクリエイターに対する概念や、創作物で対価をもらうという慣習、プロとアマチュアを分けるという社会通念も変わると思います。
例えるなら、地球上の73億人が誰でもクリエイターになることができ、誰でもユーザーとしてクリエイターにつながることができます。

そして、これまでクリエイターに対する対価としてお金を中間搾取してきた仲介業者が没落すると思います。
日本における出版不況が、その一例です。
出版不況とは中間業者である出版社が中間搾取できなくて嘆いている現象で、創作物を仲介業社が搾取する時代そのものが終わりを迎えつつあるのです。
例えるなら、作者が生活を保障されて安心して創作でき、読者がその創作物を楽しめるなら、出版社という仲介システムが終わりを告げても、私たちにはなんら問題はないのです。

プロやアマといった垣根が崩れ、誰もがクリエイターになる時代はすでに来ています。
創作すること、創作物を利用することは誰にとっても身近で、当たり前になりました。
そしてベーシックインカム時代が実現するなら、お金で創作物を取引する必要はなくなる可能性があります。

そうした時代を見据えて、私はクリエイターがその創作物を必要とする人や団体を直接取引できる場(=プラットフォーム)を作りたい。
その場は、できればお金ではなく信頼や感謝で取引する場として作りたい。
そしてそのプラットフォームの基本は「より良く変えること(to Good Change)」を基本理念にしたいと思っています。

もし73億人が総クリエイターになって、地球や社会やその人の人生をより良く変えることに創作的な才能を発揮したら、世界はものすごいスピードですごく良くなるのではないでしょうか。
創作物の取引がお金を介在する限り、企業や裕福な人だけに利用される社会は変わってもいいし、変える必要があると私は考えます。
私は、誰でも自由に創り、創作したもので人生や社会をより良く変える才能が発揮できる未来と社会を作りたい。

世の中がより良く「変わる」ことを待つのではなく、積極的に「変える」ことを私は選びたい。

私の長い文章を読んでいただき、本当にありがとうございます。
誰もがクリエイターとして、「より良く変えること(to Good Change)」に参加できる場作りに関心がある人はいませんか?
あなたの考えやご意見やアイデアを聴かせていただけたら、とても嬉しく思います。
コメントやご連絡、お待ちしてます!!!