幼い頃、傷つけられることが怖かった。
愛すること、愛されることはもっと怖かった。
私は家族のことが大好きだった。
父や母も祖母や祖父のことも大好きだった。
だけど父も母も祖母も、私が愛した人は皆私を傷つけた。
私を傷つけないのは祖父たちだけだった。
私は愛してるからこそ、なぜ家族が私を傷つけるのかわからずに混乱した。
愛することは、私にとって我慢することだった。
なぜなら私が愛した人達の望みは、私を傷つけることだった。
私は愛されているのだから、傷つくことを我慢しなければいけないと思っていた。
あの頃の思いこみは、いまは違うとわかる。
愛は本当の意味で人を傷つけるものでは無い。
誰かを傷つけるものがあるとしたら、それはエゴであって愛ではない。
私は人を愛したい。
深く深く、人を愛したい。
そして、人に愛されたい。
私はもう愛は人を傷つけないものだと知っている。
人がそばにいて怖くなることはある。
けれど、本当の意味でその人は私を傷つけようとは思わない。
私は人を愛したい。
そして愛されるようになりたい。
幼い頃の呪縛から抜け出して、自由になりたい。
痛みを恐れず、回復できる強さを持ちたい。
そして人を許せる優しさを持ちたい。
天使のようにとはいかなくても、私にもできることがあるはずだ。
傷は消えなくても、愛することはできる。
そばにいてくれてた、野良猫の空海のように。
あるいは私の傷を見守り、痛みごとそばにいてくれた友達のように。