この1週間から10日、非常に心がざわざわしていた。
原稿も全然書けない。
料理もできない。家事はもっとできない。
「こりゃあかん」との認識が徐々に深まってきた。
どこから気持ちを片づけていいのかわからない。
そうだ、掃除をしよう。
掃除をしているとやけに不用品が多い。
これはどうしたものだろう。
まずはフリマアプリに出品してみよう。
もし売れないものでも、ほしい人を探してみよう。
どれが譲れるかを考えて、写真に撮っていく。
ぱち。ぱちぱちぱち。
写真に収めるたびに、その物がやってきたときのこと、使っていたときの想い出が甦る。
思い入れが深い物なら、なおさらだ。
10年前に初めて買ったiPhone3GSは電源がうまく入らない。
でも、思い入れがあって触っているだけで懐かしくなった。
私は物には魂が宿ると思っている。
「付喪神」という名前が示すように、日本は物にも神の魂が宿ると考える文化の国だ。
私は宗教はそんなに信じない。
でも大切にしたものには、必ず魂は宿ると思う。
だからこそ、物を手に入れるとき以上に、手放すときのほうが大事だと考えている。
大切に扱った物に魂が宿るなら、きっと私と別れるときにさみしがったり、哀しんでくれるのかもしれない。
物を手放すとき、私たちはその物にこめた心を浄化させる。
だから、なるべくそのものがより良い第二の人生を送れるような手放し方を心がけている。
部屋を片づけることは、心の中を片づけること。
物を手放すことは、物に込められた感情を手放すこと。
心の中の溜まった感情を、捨てるのでも投げ出すのでもなく、「いままでありがとう」の気持ちを込めて、次の使い手に手渡す。
そうすると、その物が喜んでくれる気がしている。
そして、貰ってくださった方にも福を呼んでくれるような気持ちがする。
ものを物と思わず、人のように心や魂の籠ったものとして扱う。
簡単になんでも手に入り、なんでも簡単に捨てることができる時代であっても、「大切にする」ことの本質をきちんと心の真ん中に持っておきたい。
そうした人から物へ、物から人へ、伝わる心の循環を大切にしたいと思っている。