Hazuki Natuno

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自分らしい呼吸が、できるようになりたい

自分らしい呼吸が、できるようになりたい

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2021年1月1日、曇り。
強風のためか、身体が寒い。
時折、空が忘れられないように雨が降らせる。
私は重い身体を起こし、シャワーを浴びた。

引っ越すはずだった部屋は、荷造りの名残が残る。
まるで東南アジアの市場の喧騒の中のようだ。
自分の部屋ではないようで、落ち着かない。
私は静けさを求めて、教会に足を運んだ。

教会に行くようになったのは、去年の夏からだ。
私は信徒ではない。
この教会の司祭とのお別れが近いことを悟り、8月の1ヶ月間礼拝に通っていた。
以来、何か悩んだり心惑うと礼拝とは別の時間に祈りに行くようになった。

司祭が亡くなった後の教会を管理する女性の牧師は、私の友人だ。
訪問の前に電話を入れる。
「ドアを開けておくわ」と彼女が言う。
私は短く礼を伝える。

教会のドアには、まだクリスマスリースが飾られていた。
礼拝堂の中にもクリスマスツリーがある。
主の見守る十字架の前で、私は祈る。
御子の愛が私の身体を通じてなされますように、と。

教会を後にして、初詣に行く。
大神山神社の階段を登る。
三日月山ほどではないが、この階段も急だ。
胸の中を過ぎる景色を、ほんの少し首を降って、忘れようとした。

境内に着くと、御手水は閉じられていて、代わりにアルコールが置いてあった。
手をアルコールで清め、拝殿の前で祈る。
大切な方たちが、平和でありますように。
御神籤を引くと、吉だった。

社殿を後にして、階段を降りる。
途中の展望が良い休憩所で街を眺める。
小さな島を見下ろしながら、これからの私を考える。
島にずっと住みたいと願う私と裏腹に、少し疲れている私がいた。

土産物屋を営む友達の店に立ち寄り、たわいない話をする。
倒れた話も引越しが取りやめになった話も、彼女にするのは初めてだ。
彼女は聴きながら、私に問う。
「小笠原を離れるのは、どうなの?」

私は一瞬呼吸に詰まって、それでも何か言おうとする。
「まだ、小笠原でやりたいことがあるんだ」
言葉が空虚だ。
足元が崩れようとしているのに、立とうとする人のように。

彼女に礼を言って、店を離れる。
家に帰ると、身体を起こすことができなかった。
自分の自覚以上に、疲れていた。
眠ることも、うまくできない。

夜、ヨガを教えてくれている友人からメッセージが届く。
「いまからお節を届けるよ」と彼女が言う。
手作りの淡い綺麗なお節を、玄関で受け取る。
「ありがとう」という言葉では、うまく感謝が伝えられなかった。

こんなに疲れた新年の迎え方は、2015年と2019年以来だ。
私は私の不器用さに、笑いを禁じ得ない。
本当に、私は、生きるのが下手だ。
本当に。

もう少しだけで、いい。
楽に呼吸ができるようになりたい。
胸の痛みを軽くしたい。
なにより、眠れるようになりたい。

狂ったバランスを取り戻すことは、少し難しい。
それでも心と生活を整えること、痛みをとることが今の私には必要だ。
ただ、それがうまくできない。
まだ少し、胸が痛む。

その痛みを、じっと見つめている自分がいる。
うまく回復できないとしても、それでも治りたい。
ゆっくりで、いい。
自分らしい呼吸が、できるようになりたい。

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