Hazuki Natuno

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別れ

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近頃、別れについてよく考える。
頭の中にいままで出会い、別れてきた人たちが棲んでいるように思い浮かぶのだ。
その人は恋人であったり、友人であったり、男であったり、女であったりもする。
非常に様々で多彩な、なにかの縁で出会い、別れざる得なかった人たち。
もう出会わないはずなのに、ふとした拍子に出会うかもしれないと駅のホームで似た後ろ姿を目で追いかける。
眼が、髪が、肌が、手が、あなたを覚えている。
そんなとき私はこう思う。

別れとは死なのだと。

昔、愛する人に自分から別れを告げて死のうとしたことがあった。
結局死にきれなくて、退院したての病院とは別の病院に一ヶ月入院した。
あのときほどはっきりと強い衝動で死に向かったことはない。
そしてあの別れほど強く後悔した別れも、またない。

私がいま、死ぬことを止めたのは祖母のおかげだ。
祖母は私がどんな人間であろうと、ただ生きているというだけで喜んでくれる。
会って、話せるというだけで笑い、ココアを作っただけなのに「葉月がよくしてくれる」と喜んでくれる。
祖母は今年で90歳になる。
痴呆の気配もなく、母よりも健康なぐらいだがそれでも足腰が弱ってきた。
本家から自転車で通ってきた距離を、いまでは母や叔母の送り迎え為しに我が家に来れない。

別れのときが、近づいている。
それは変えようのない事実だ。

何年か前、祖母の体に初期の大腸ガンが見つかった。
手術のためICUに入り、絶食をした祖母はひどく弱っていた。
私はいままで意識しなかった祖母の姿を見ることで、はじめて祖母の死を意識した。
それ以来、祖母を撮ることが私のライフテーマの一つになった。
私が農業を始めたのは農作業中の祖母を撮るために手伝い始めたのはきっかけだ。
祖母が生きてる限り、作品は続く。
祖母自身が作品だからだ。
やがて祖母が活動を停止し、棺に入り、煙となり空に昇るまで僕の撮影も続く。
撮影し続けたいと願いながら、作品の完成を追う。
それが私の祖母との付き合い方だ。

祖母に限らず、私は恋人とも同じように付き合う。
言外のメッセージとして「撮らないでくれ」と発している人以外は基本、撮る。
撮ることが私にとっては愛情表現そのものだから。
だから、そのときどき好きになった人の作品が膨大に貯まる。
私はその人を撮っているとき、その人自身ないしその人をテーマに作品展を開くつもりで撮っている。
だから別れによって作品全てが構想ごとお蔵入りすると非常に哀しい。
人間関係の別れは、愛の死であると同時に何百枚と撮った作品の死でもあるのだから。

それでも、別れを怖がりたくはない。
私たちはどんな関係であれ、いつか別れる。
それを怖がっては誰とも愛し合えないし、撮ることも出来ない。
別れることを前提に、それでも「好きだ」と全身全霊で叫ぶ。
それが撮るということなんじゃないだろうか。

それでも、強がっても、やはり別れるのが怖い。
いつか祖母が、母が、あの人が、友達が、世界からいなくなるなんてぞっとする。
だから、いつか別れがきたとき写真を観て哀しみを慰められるように撮り、撮ることで別れを意識し、その恐怖に覚悟を固める。
失われてから撮ることもある。
そのときは写真を手がかりに愛した光景を思い出す。
私は昔から不思議なくらい別れ、特に死による別れに弱い。
だから「いつか別れるのだから」と自分に言い聞かせ、恐怖に立ち向かうためにカメラを握るのだろう。

別れは、怖い。別れという恐怖は死そのものだ。
その恐怖を自覚するからこそ、いまこの瞬間にあなたを撮れることが限りなく大事な一瞬となる。
であるならば私は別れを限りなく愛おしく思う。
いまもう会うことのない写真の中のあなたように。