私は存外文学、特に純文学が苦手で小説といえばライトノベルばかり読んでいる。
だが好きな作家は、と聞かれたら答えは決まっている。
塩野七生氏と沢木耕太郎氏だ。
塩野氏については日記で何度か言及している。
しかし、あまり量を読んでいない。
「ローマ人の物語」を読了しなければ彼女について語る権利はないと勝手に思っている。
沢木氏についても似たようなもので好きだが、すべてを読み尽くしている訳ではない。
だから滅多に公言しないがはっきりと「好きだ」と断言出来る作家の一人だ。
彼といつどこで出会ったのかすでに定かでないが、猿岩石という名の芸人たちの企画のおかげで「深夜特急」がやけに注目された時期があった。
その頃に意識し始めたのだろうから、案外私もミーハーだ。
しかし、暮らしの手帖を一世紀から愛読する母のおかげでかなり幼い頃から彼の映画評を読んで育ってきた。
振り返るに、長編よりも短編における彼独特の枯れた文体が好きである。
そんな訳で我が家には「テロルの決算」と「紙のライオン」「ペーパーナイフ」「地図を燃やす」と「深夜特急 1」がある。
深夜特急が1巻しかないのは全巻図書館で借りて読了した後、揃えようとして挫折しているからだ。
そして所蔵が少ないのは沢木氏はゲリラ的に突発的にどこかに書き出すことが多くて追いかけづらいためだ。
日韓ワールドカップの際、朝日新聞のスポーツ欄に彼がコラムを書いていてその後書籍にまとまったはずだが、コラムで満足してしまって本は手にしていない。
沢木氏はどうもスポーツ選手とその物語が好きなようだが、私自身はそんなにスポーツ好きな人間ではないのでその方面の作品は後回しにしてしまう。
もちろん、「テロルの決算」のような長いノンフィクションも大好きだが実際のところ長編よりも彼の思考経路そのもののような短い随筆が大好きだ。
私の随想における発想と文体には彼の影響が少なからずあるのではないかと思う。
こんなことをだらだらと書いているのも、今日図書館で彼の随筆集を借りられて興奮しているためだ。
今日借りた本の書名は「勉強はそれからだ 〜象が空を 3〜」という。
副題の通り、あと二冊は彼の随筆集が読める。
そう思うと嬉しくて嬉しくてたまらない。
源氏のように長編には長編の楽しみがあるが、短編には短編の、随筆には随筆の楽しみがある。
本当に好みの随筆に出会ったとき、本当に飲みたかった酒に巡り会えたときのような至福を感じることがある。
それはコアントローの香りのように芳醇で、切ない。
そんなことを書きつつもいま私は全然別の小説を読書中だ。
読み疲れたとき、ふらりと「勉強はそれからだ」を開いて気になったタイトルの随筆を読む。
そしてまた小説に戻る。
梯子酒のように、迷い箸のように、ふらふらと本の海を彷徨う。
読み途中の本を家でも通勤でも常に持ち歩くのでまるで歩く図書館だ。
だけどまぁ、許して欲しい。
煙草の煙よりは、たぶん害のない趣味だと思うから。