このところ、言葉が出ない。
簡単に言えば、以前のようにすらすら書けない。
理由はわかっている。
自分を押さえ込んでいるからだ。
いままで、私は自分の中の闇も泥もすべて書いていた。
いまは光について書きたいと願っている。
以前に比べて、読んでくれる人を意識するようになった分、書くことを選ぶようになった。
良いことでもあり、悪いことでもあるだろう。
私が書く動機は私の感情だ。
どんな物事であれ、「なにを考えたか」より「なにを感じたか」が私にとって大切だ。
だとするならば、書くことを選び、躊躇っているこの状態は決して良いことではないのかもしれない。
自分で自分にブレーキをかけているようなものだから。
人は時として言葉を探す。
ごまかすために、あるいは沈黙を終わらせるために。
であるならば、私は本音を語るために、言葉を探したい。
どのように醜い内面が私の本心でも、真実こそが美しいと思うから。
自分の中の言葉が自分の本質だとするならば、少しでも美しい何かを綴りたい。
そのためには自分の中の醜さを直視する必要がある。
弱さも強さも、醜さも美しさも、どれも私の本質だ。
真っ直ぐな瞳で、目を背けず自分と向きあいたい。