Hazuki Natuno

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愛と別れ 〜儚く散る、桜のように〜

愛と別れ 〜儚く散る、桜のように〜

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昨日と今日、母が鎌倉に遊びにきてくれました。
昨夜はずっと行ってみたかった松原庵でお蕎麦。
今日は長谷の大仏と鶴岡八幡宮を散策しました。

午前中は雨と風が強くて哀しかったけれど、泣き顔だった空はいつも間にか晴れて八幡宮に着く頃には晴天に。本当に嬉しかった。
神苑ぼたん園から観る、源平池に咲き乱れる桜と牡丹は神様からの贈り物のように綺麗でした。
子どものように桜を喜ぶ母を観ていて、あと何回こうして一緒に桜を観られるだろうかと思わずにいられませんでした。

人生はたぶん、私が想像しているより短くて、母と別れる日もあっという間に来るのだと思います。
その日がいつ来ても、悔いがないように、家族と過ごす時間を大切にしたい。
私は大切な人を大切にすることが、とてもとても下手だけれど。

愛する存在への愛を自覚することは時としてとても怖いことだと思います。
なぜなら、愛する対象を失ったときのことを常に考えなければいけなくなるから。
私には家族と呼べるのは母しかいないから、母がいなくなったときのことを考えるだけで泣きそうになる自分がいます。

ただ、これだけは忘れないでおきたい。
愛する対象と別れても、愛が失われる訳ではないことを。
愛した人や存在と過ごした時間や想い出はいつまでも、いつまでも、私たちの間で失われることなく光り輝き、孤独な闇を照らし暖めてくれるものであることを。

姿と形あるものはいつか失われます。儚く散る、桜のように。
でも桜は枯れた訳でなく、次の春に向けてまた芽吹く時を待っている。
愛も同じように、消えてなくなることはない。

いずれやがて、母と私は死という形で別れるでしょう。
だけど、私たちは今日共に観た桜の美しさをそれぞれ忘れることはないと思います。
今日の桜の美しさについて、生きている限り語りあい、そして死しては語りあった想い出を大切に生きていきたいと思っています。