Hazuki Natuno

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自分を愛していいんだよ

自分を愛していいんだよ

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おはようございます、夏野葉月です。
昨夜大切なことに気づけたので、シェアしたいと思います。
それは「私やあなたは、自分を愛してもいい」ということです。

いろんな自己啓発の本にも書かれている内容です。
あるいはすでに知っている人、無意識に実践している人には「当たり前じゃないかな?」と思うことかもしれません。
だけど、私には目から鱗の気づきでした。

きっかけは昨日初めて会った人からセクハラを受けたことです。
その人は初対面の社会的地位もある男性で、偶然か故意かわかりませんが、首や胸を触れられました。
本当にショックで嫌な出来事で、そのことで私は私の過去を思い出しました。

私の家族は特殊で、私は家族からのスキンシップがほとんどありませんでした。
同時に家族が私の肌に触れるときは暴力や嫌がらせをするときだけという過去がありました。
こういった環境で育つと子どもは混乱します。

普通の家族は子どもを愛しますし、私の家族もその人なりに私を愛していたと思います。
ただ、その愛情の表現方法が暴力だった場合、子どもは「愛とは暴力」だと学びます。
乳幼児は無力で、大人の判断に「No」と言ってもいいと知りません。

おかしいことが行われても「おかしい」と言えません。
嫌なことも「嫌だ」と言えません。
ましてや、家族が「あなたのためを思っている」と言いながら暴力や嫌がらせをする場合は、
子どもは「愛されることは暴力を受けることだ」「私は暴力を受けるに値する存在だ」と刷り込まれてしまいます。

昨日のセクハラは本当に嫌なもので、気持ち悪かったです。
あまりに気持ち悪かったので、その人と別れた後「嫌だったので、謝罪してください」とメッセージで送りました。
その人は結果的に謝罪をしてくれて、そのとき私は「嫌だったら嫌だと言っていい」「私の身体を誰が触り、それが良いものか嫌なものか、私が選べる」ということを学びました。

この気づきの一番はじめのきっかけは、ある友人が作った性暴力について表現した動画を見たことでした。
過酷な性暴力を受けた友人はその出来事を消化して動画を制作し、彼女が受けた性暴力について「No means No」と表現していました。
NoはNoという意味で、嫌なものにはNoと言っていい。そのシンプルなメッセージは、私の心を打ちました。

理想の家庭では、触ることも含め、子どもの身体や心を尊重し、大切にすると思います。
なぜなら、身体や心はその人のもので、その人の身体を大切にするということは、「あなたは私にとって、大切な存在だよ」とメッセージすることに繋がるからです。
同じように、自己の身体の感覚や違和感、嫌悪感を大事にすることも、とても大事です。

私は、いままでの私と同じように、自分を大切にできなくて苦しんでいる人に伝えたい。

「あなたや私は大切な存在で、愛される価値がある」と。

あなたがあなたであるだけで、生きていても、生きることに苦しんでいても、愛されるに値する価値があることを、伝えたい。
そして、この文章を読んでくれた方にお願いです。
あなたの周りの人に、あなたなりのやり方で愛を伝えることを忘れないでください。

それは、動画を作った友人のように、自分への愛情を回復した課程を作品として表現することかもしれません。
それは、落ち込んでいるように見える友人に、「大丈夫?」「気にかけているよ」と優しく伝えることかもしれません。
そしてなにより、あなたがあなたを優しく、大切に扱うことかもしれません。

愛とはその人を尊重し、大切にすることです。
言葉や暴力で、人を傷つけることは、決して愛ではありません。
もしも傷つけられたら「嫌です」と言ったり、傷つける人や環境から離れてもいいのです。

こんなシンプルな真理を気づくことに、私は41年かかりました。
気づくことができて、本当に良かった!
そしてこの気づきを周りに伝えていきたいと思い、この文章を書こうと思いました。

あなたの心や、あなたの大切な人や、日本や世界から暴力が減りますように。
そして、愛が世界中にもっといっぱい増えますように。
皆さんの今日が、素敵な1日であることを願っています。