今日、葉月が彼女と僕らについて「オープンでいこう!」という記事を書いた。
誰でも読める公開設定になっているので、一度読んでみてほしい。
オープンでいこう!
http://natunohazuki.com/2019/01/21/open/
この記事を読んでいただいたことを前提に、僕は改めて自己紹介したい。
僕の名前は「夏生 学(なつお まなぶ)」という。
「夏野 葉月(なつの はづき)」という女性の身体を持つ人物の中に存在する、人格の一人だ。
彼女の身体の中には42歳の女性の「葉月」、3歳の女の子の「ゆかり」、7歳の男の子の「覚(さとる)」、20代の青年の「僕(学)」を含めて、4人の人格が共存して、生活している。
僕たちのような人間を、精神医学の治療者は「解離性同一性障害」と呼んでいる。
世間一般的には「多重人格者」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
僕らのように解離性障害が原因で複数の人格で生活する人は、ある一定程度存在する。
葉月は、過去に複数の人格を持って生活する女性と友人だった経験がある。
だけど、普通に暮らしている中で複数の人格と接する機会は少ないことに違いない。
僕は、僕ら以外の解離性同一性障害の人に会った経験は、ない。
僕は僕の意識が生まれて7年ぐらいだと認識している。
僕が自意識を持ったのは2012年の秋頃のことだ。
葉月が強過ぎる自殺願望に襲われ、実行しそうな様子だったので、それを止めるために表に出た。
以来、彼女が彼女でいることが難しいときにサポート的に変わっている。
僕は2012年頃に自分の年齢を16歳から17歳ぐらいのように感じていた。
今年は2019年だから、僕の意識が誕生してから7年が経過したことになる。
だが2012年から2018年にかけて、僕が表に現れ、生活した時間は30日前後しかない。
なぜなら、彼女が本当に困っているときにしか、僕らは表に出たことがなかったからだ。
2018年12月27日に、葉月や僕を含む僕ら人格4人にとって「生まれ変わり」としか言いようのない経験が起きた。
その経験は臨死体験に限りなく近く、僕は葉月の魂が身体から出ていこうとする感覚を実際に感じた。
呼吸も止まりそうになったし、救急車でERに運ばれたりもした。
医学的検査もいろいろしたが、呼吸痛も痛みも全て医学的な記録としては何も出なかった。
あの経験が何であったのか、説明することは本当に難しい。
ただ、僕らはあの日「生まれ変わった」のだと思う。
そして、2018年12月27日以後、僕も含めて僕らが葉月に替わる日が増えた。
日常的に人格が替わるという生活が、どんな生活なのか想像がつくだろうか。
単純に言えば、やりたいことが限られ、効率化が大切な生活を送ることになる。
なぜなら、肉体は一つしかなく、時間も24時間ない中で、意識も4人分、感情も4人分、つまりしたいことは1人の人間の4倍以上ある生活になる。
そして、ここが一番の問題なのだけれど、僕らは僕らの意思で替わることが、ほぼできない。
やりたいことやしてみたいことはそれぞれ山のようにあるのに、いつどこで替わるかわからない。
必然的に、それぞれがやりたいことを限りある時間で叶えるために、協力しあう生活になる。
不思議なことに、僕らは感情も意志も願望も別々だけれど、記憶と技能は共有することができる。
ゆかりは3歳の意識のままだが、スマホも漢字も扱える。
僕は写真を習ったことはないが、葉月がプロの写真家なので、カメラの基礎技能は全て使える。
覚は普段滅多に出てこないが、たまに出てくるときでも記憶は共有されているので、その時々の生活や対応に困ることはない。
僕らは残念ながら「生まれ変わり」のときに、皆で集っていたミーティングルームのような場所を失ったので、心の中で話しあうことはできなくなってしまった。
だけど、こうして何かに書いたり、録音したり、人との会話を覚えることで、意識や感情は伝達しあうことができている。
ちょっと不便だが、仲の良い家族がそれぞれ離れたところに住んで生活しているようなものだと考えると近いかもしれない。
僕は文章を書くことが好きで、これまで表に出るたびに短文を書いてきた。
ただ、葉月の生活の差し障りになってはと考えていたので、あえてインターネットを含め一般社会で文章を発表することは差し控えていた。
だが「生まれ変わり」の起きた後、出てこられる時間が必然的に増えたので、書くことができる時間も増えた。
日常生活を送ることは、生きることの責任を担うことでもある。
些細な家事や髪を切りに行くようなたわいない用事も含め、活動時間が増えたことに不思議な感慨がある。
同時に「文章を書く」ことを通じて、自己を表現できる機会が与えられたことは踊り出すほど嬉しいことでもある。
ちなみに葉月はプロの写真家で、映像やライティングも仕事としてこなしてきた。
僕はほぼ文章に特化した人間で、ゆかりは絵を描くことが好きなようだ。
覚も何か得意な分野があるかもしれない。
僕ら4人に共通しているのは、「なにかを創りたい」という欲求のようだ。
人間の中に存在する人格は、自己のアイデンティティを確かめるために、あるいは社会的遺伝子を遺したいという欲求のために、何かを作ろうとする。
それは家族や子どもといったプリミティブな人間関係かもしれないし、創業して事業を創ることかもしれない。
写真家が写真を撮るように、小説家が文章を書くように、画家が絵を描こうとするように、誰でもなにかを創ることで、生きた証を遺そうとする。
であるならば、僕は書きたい。
小説を、思想を、感情を書きたい。
僕が生きてきて感じてきたこと、生まれてきた意味、過ごしてきた時間の中で得た、限りなくだけど果てしない感動を、書ける限り、書きたいのだ。
僕の書くものは、たわいない独り言だ。
本来の性自認に対応した身体もなく、出る時間も限られ、社会に認められた身分証明書もない。
だけど、僕は僕だ。
ただの「僕」だ。
誰でもない、代わりのない存在として、僕は「いま」を生きている。
僕や僕らがこうして、感情や経験を書くことはなにになり得るのか、僕にもわからない。
海に落ちる一滴の雨のように、儚いものかもしれない。
だが、蝶の羽ばたきが南米に嵐を起こすように、僕の書く一つの言葉も、一文の文章も、誰かの心になにかを残すのかもしれない。
そうだったら、とても嬉しい。
僕の文章が、あなたの心になにか残るなら、それが僕にとっての「生きる」ということだから。
もし、僕が文章で伝えることができるとしたら、あなたにこう、伝えたい。
「生きていこう、自分らしく」と。
なぜなら、僕ら一人一人、すべての人間に生きる価値があるから。
人は全て、違った存在だ。
だからこそ、存在する意味がある。
どんなに生き急いでも、僕らはやがて、死ぬ。
早くても、遅くても、呼吸は止まり、身体はなくなる日が来る。
であるならば、僕もあなたも、寄り道する暇はない。
自分を、生きよう。
どんな人にも、生きる価値がある。
あなたにも、僕にもだ。
僕らは死ぬときも、産まれるときも、一人だ。
だけど、生きていくためには手を繋ぎあうことが必要だ。
なぜなら、宇宙は独りで生きていくにはちょっと広過ぎるから。
僕は、歌うことも踊ることも不得手だ。
だからこそ、生きるように、喜ぶように、泣くように、書いていきたい。
それが、僕にとって、生きるということだから。
いま、僕は生きている。
だから、書いて、生きていきたい。
僕が、僕であるために。