Hazuki Natuno

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『ある』ことのありがたさ

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昨日、「蓮は、泥の中で咲かない」というタイトルの記事を公開した。
この記事を書いたのは9月19日で、昨日26日に公開するまでに様々な葛藤があった。
痛みや怒り、哀しみや疲労があった。
それらの葛藤を1週間押し殺して、限界がきた。

今日27日に記事に書いたイベントのスタッフによるわかちあいの会があった。
私は参加を躊躇った。
私が参加しても、シェアできるのは怒りと哀しみだけだと思ったからだ。
だがイベントの共同主催者でもある友人が「夏野さんのいまのお気持ちのシェアが大切なんです」とおっしゃってくださったので、あえて参加した。

いろいろ、話した。本音をぶちまけた。
私の人生の中で、他者の前であそこまで本音を話すことはそう滅多にないことだった。
話しているうちに感情的になり過ぎていることがわかったので、途中で会を退出した。
会に誘ってくれた友人から「夏野さんの話がきっかけになり、その後良い話し合いの場になった」と伝えてもらった。
私は何が幸いになるか、わからないものだなと思った。

私は思うのだが、世の中は『する』ことに忙殺され過ぎている。
学ぶこと、働くこと、生きること。
何かを『する』こと。

だが、本当に大切なのは行動ではない。
私たちの本当の価値はただ『ある』ことにある。

『ある』とは『在る』ことだ。
ただ、そこに在ること。存在すること。
あなたが、ただそこに『ある』こと。
それこそがかけがえのない意味と価値を持つ。
それを忘れている人の、なんと多いことか。

『する』ことは本当に簡単だ。
行動があり、結果がある。眼に見えるものがある。
『ある』ことは、眼に見えない。
誰しもそこに『ある』がゆえに、在ることのありがたみを忘れている。
あなたが、そして私がいるからこそ、宇宙はそこに『ある』。

『ある』ことは見えない。
ただ、感じることはできる。

「ありがとう」とは「有り難い」と書く。
『ある』ことは、本当に簡単なことではない。
本当の意味で、有り難いことなのだ。

『する』ことはある種の麻薬に似ている。
『する』ことに依存すると、本質を見間違う。
それを間違ってほしくないとわかちあいの会で伝えたかった。
参加された皆さまに伝わったらいいな、と思う。

そして私自身、私が『ある』ことと、皆さまと共に『ある』ことを忘れないようにしたいと願う。

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