Hazuki Natuno

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「愛する」とは、相手のありのままを認めること

「愛する」とは、相手のありのままを認めること

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彼と出会って1ヵ月と半月。
様々な変化があった。
親子の別れ。
友達からの愛。
恋と出会い。
様々な別れがあり、様々な変化があった。
すべて愛に関するもので、以来ずっと愛とはなんだろうと考えている。

親子であっても、共に居れない人がいる。
どんなに離れていても、心がつながっている友達がいる。
あるいは会って間もないのに、心を奪われるように愛してしまう人がいる。
様々な愛の形があり、伝え方がある。
そんな時、いつも「愛とはなにか」を考えてきた。

私なりの考えはこうだ。
愛とは守ることであり助けることでもある。
相手の気持ちを守り、困った時に助ける。
その時一切の見返りを求めない。
そして、ただ相手のありのままを認める。
純粋で無償の愛。
それが私の考える愛だ。

何かをすることで相手に振り向いてほしいとか、何かをしてほしいと考えるのはそれは愛ではない。
それは支配欲やコントロール欲求と呼ばれるもので、本当の意味で相手を愛していない愛だ。
そうしたことを愛と呼ぶのもおこがましい。

私はとても依存心の強い人間で、人を好きになる度に相手に何かしてほしいと考え続けてきた。
いま私が感じてるような、本当に相手の幸せを願う存在との出逢いが、私の人生に訪れる日が来るとは思ってもみなかった。
ただ相手の幸福を願う。
毎日彼が幸せになることを願っている。

私にできることは特にないかもしれない。
あるいは祈ることしかできないかもしれない。
それでも私の友達がこれまで私を支えてくれたように、あるいは辛い時私の幸福を心から祈ってくれたように、私も彼に祈っている。

人を気遣い、優しくて、いつも笑っているようで、辛いことを噛み締めている。
少し人と距離をとり、自分の感情を見せようとしない。
そのくせどこか寂しがりで、誘うとなぜか応えてくれる。
優しさと孤独、人とそばにいたい、だけど距離を取りたいという気持ち。
それが彼で、そして私自身でもある。

どこか似ているところがあって、全く違うところがある。
そうしたものある。ひっくるめて私は彼が好きなんだと思う。
年齢差があるから私が彼と一緒にいられるかどうかよくわからない。
彼が私といたいと思ってくれているかどうかすらわからない。
それでも彼が幸せだったらいいなと思う。

私には真実も、真実の愛も、愛することもいまだによくわからない。
それでも彼が幸せになってくれたらいいと、いつも思っている。
それが私の力とかではないとしても一向に構わない。
私は彼の側にいるかもしれないし、いないかもしれない。
けれど、いつもちょっとはにかんだように笑っている優しい人が、日々幸福でいてくれたらいいと毎日願っている。

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