「家族写真を撮っていただけませんか」
そんなご依頼をいただいた。
小笠原諸島に移住する前、私は様々な依頼で家族を撮影してきた。
結婚式、七五三、卒業式。様々な場面で、家族を撮らせていただいた。
だけどどことなく、違和感があった。
私が家族の愛を知らないからだろう。
撮影させていただくたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。
その小さな棘は、撮影を重ねるたびに膨れてきた。
だからだろうか、私は小笠原に再移住した後、写真撮影の仕事を再開しなかった。
自分の撮りたいものだけ撮ろうと、どこか意固地になっていたかもしれない。
10月1日、「撮ることは、永遠に愛すること」という記事を書いた。
これまで小笠原諸島で撮影させていただいた様々な家族のことを思い起こしながら、書いた記事だった。
今回の依頼はその直後にいただいた。
ご依頼をいただいた方は、面識はあるがあまりお話したことのない方だった。
小さな赤ちゃんをご出産されたばかりで、「子どもが小さなうちに撮っておきたい」とはっきりおっしゃった。
私はなんだか、嬉しかった。
その方の赤ちゃんへの愛情が強く伝わってきたからだろう。
「きちんと良い写真を撮って差し上げたい」と思った。
10月にいただいた依頼は、なかなか撮影日が決まらなかった。
良い天気の日にご家族の休日をあわせることは案外難しかった。
最終的に「仕事がある日の早朝に撮ろう」と申しあわせて、
撮影することになった。
その朝はとてもよく晴れた。
雨が続いた日の後だから、空気中の塵が落ち着き、光も綺麗だった。
腕の中に抱かれた赤ちゃんは和やかで、むずがることがほとんどなかった。
ご家族の方も「息子は人見知りするので、珍しいんですよ」と驚いていた。
晴れた光の中、父と母が赤ちゃんにゆっくりキスをする。
母親の瞳の中に、赤ちゃんの笑顔が映る。
父親の腕の中で、ゆっくりと笑う。
その笑顔を見ていると、なにか胸が熱くなった。
涙が出そうになった。
なぜだろう、私まで抱きしめられているような気がした。
海辺と漁港の灯台で撮影した後、ご自宅に伺った。
「ぜひ」とのことで、授乳中の風景を撮影した。
赤ちゃんが、こくこくと母乳を飲む。
柔らかな光が二人を包んだ。
幸せな時間を留めておきたくて、私は夢中でシャッターを切った。
どんな時も、無常に流れていく。
赤ちゃんが今日のことを覚えていることはないだろう。
だが、彼がいつか大きくなったときに、この写真を見る。
小さな身体が、お母さんの胸に抱かれていた日を思い出す。
そしていつか彼が家族を持つときに、自分の子どもにこの写真を見せるのだろう。
それは、言葉に替えがたい幸福のような気がした。
写真の素晴らしいところは、一瞬が永遠になることだ。
シャッターを切る一瞬は瞬く間に終わる。
だけど、写真という形で胸の中に残る。
その永遠は、時を越え、世代を越えて、残る。
そうして、時の流れに梯子をかけることができる。
永遠の一瞬の狭間に残る、温かな想い。
写真の中の赤ちゃんが、微笑う。
その微笑みが、永遠に守られますように。
この胸に残る願いが、未来の彼に伝わることを祈った。