日本を離れ、いま欧州に来ている。
4月15日に日本を発ち、コペンハーゲンに5日間滞在した後、スウェーデンに来た。
スウェーデンではヨーテボリという地方都市に住む友人の家に滞在している。
スウェーデン滞在して、すでに9日。その間2日間ノルウェーのオスロに旅をしたから、実質1週間の滞在だ。
次の予定があるので、5月3日はベルギーのアントワープに旅立つ。
いま滞在している友人の家はとても居心地がいいので、離れることがすでに淋しい。
なぜ今回唐突に旅行に来たのかというと、北朝鮮情勢が不穏になり、怖くなったからだ。
戦争が起きるかもしれない。そう思うと、日本で落ち着いて暮らすことが私にはできなかった。
スウェーデンや私が旅した北欧の国々は平和で、のんびりしている。
戦火の犠牲になるかもしれない母国より、本当にほっとする。
だけど、戦争が起きるかもしれないという危機をいつも忘れることができない自分もいる。
有事の前から戦争を恐怖に感じている自分は滑稽なのかもしれない。だが、私は私を笑えない。
こうして母国を離れ、旅の空にいると平和がどれだけ貴重なものかとつくづく思う。
平和とは水や空気に似ている。
あることが当たり前のようで、実は当たり前ではない。
だが、その稀少性は失われてみなければわからない。
戦火は遠く、先の戦争の経験を伝える世代も亡くなりつつある日本で、政治家だけが戦争の準備をしている。
多くの日本国の国民は、自分の国が戦争に巻き込まれるかもしれない未来に無頓着なように私には見える。
怖がってばかりで不安定な私を、スウェーデンの友人や日本に住む恋人はとても心配してくれた。
いまでも戦争は怖い。だが一生、戦争が起きる可能性から逃げ回る訳にもいかない。
日本への帰国の日も決め、いまは人生という名の旅を楽しもうと決めた。
ただ一般人である私には戦争を止めることはできない。だが自分の人生を表現することはできる。
であるならば、私は私の人生を生きよう。
平和とは個々人が自分の人生を選択し、表現することができることに他ならないのだから。