おはようございます、夏野葉月です。
小笠原は良い天気です。
先週は雨や曇りが続き、天気のように私の心も晴れませんでした。
今日、清水千花さんの朝ヨガに参加させていただいて、身体の声を久し振りに聴きました。
身体の声のままに、感じていることを書いてみようと思います。
私は今回、島で一番撮らせていただきたいと思っていた方々がいます。
それは欧米系の方々です。
小笠原に詳しくない方に説明すると、小笠原諸島は日本が領有する前にハワイから欧米系の方が移住されていた歴史があります。
現在、初代の移住された方々から数えて4代目から7世代目の欧米系の方々がいまも島に暮らしています。
私ははじめて島に旅行で訪れて以来、欧米系の方々の方々にお話を聞く機会が何度かありました。
もし次にテーマを持って取材させていただくなら、欧米系の方々の歴史やご経験を取材したいと長年思ってきました。
というのも、戦前や返還前の歴史を知る欧米系のお年を召した世代の方々がお身体の具合を悪くされたと聴き、元気なうちにお話を伺っておきたいと思って来島しました。
だけど取材の下調べをさせていただくうちに、思わぬ話を聞くこともあります。
欧米系の方々の経験された歴史は私の中では「歴史」そのものです。
ですが、欧米系の方々にとって、それは家族の物語でもあります。
それはとてもデリケートな話で、私が聞いていいものかどうか躊躇いも生まれました。
まだ再訪問して1週間が経っただけですが、自分の眼に映る島が変わるような気持ちでした。
また私の家族のことも振り返り、落ち込みもしました。
今日、早朝にヨガを経験して、なにかが吹っ切れました。
私の心はしばらく悩むことばかりで、身体の声を聴き忘れていました。
身体は心や頭にいろいろ話しかけていたというのに。
日本語で癒すことを「手当て」とも言います。
私のような経験の浅い人間が、どこまで取材し、撮らせていただけるかわかりません。
でも欧米系の方が信頼して聞かせてくださるお話は、歴史の跡でもあります。
そこに手を当てるように、触れ、そして触れられたくないであろう話は触れないように、心で手を当てるように話を聴きたい。
そんなことをヨガをしながら感じました。
まずは撮りたいとか取材したいと言うエゴは脇に置き、お話を聴く中で見えたもの、得られたものが形になれば良い。
ならなかったとしても、私の中には残るであろうから。
それは、なんらかの形で、誰かに伝わると想うのです。
欧米系あるいは旧島民の方々の歴史の狭間に揺れた想いが宿るこの島で、私は静かに手を当てるように、話をお聞きしていけたらと今は想っています。