Hazuki Natuno

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島の神様の話

島の神様の話

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小笠原諸島に住み始めて24日目。この島で暮らしていて感じることを記録しておこうと思う。

私は小笠原諸島という土地には島の神様がいると思っている。
私が小笠原にはじめて訪れてから8年が経ったけれど、島を見ていれば見ているほど、そう思う。
この島にはたくさんの人がやってくるけれど、島に馴染んで定住する人はごくわずかだ。
ほとんどの人は長くて3年から15年、短ければ1年を経たずに帰っていく。
一度離れてまた戻る人もいれば、どんなに戻りたいと願っても戻れない人もいる。
いつの間にか住み始める人もいるし、運命の巡りあわせで住んでいる人もいる。
そこには人間の意思以上のもの、神様の意思や運命の存在を感じる。

私はほんの少し霊感があって、ごく稀に予知夢を見る。
あと写真を撮る観察眼に似た、人の運命の分岐点を視ることが稀にある。
運命というのは固定化していなくて、実はものすごく細かく枝分かれしている。
人間は無数の選択肢があり、無数の運命を選んで生きている。
ただし常に正しい選択、良い運命を選べるとは限らない。

運命には人間の意志や選択以上に、天運や天命つまり神様の意志が介在する。
ただし、人間が運命の中でより良い選択をする努力をすることができる。
その一つはその選択の動機が「愛」と「本音」でなされているかどうかだ。
選択がエゴの愛でなくてアガペー、つまり「無償の愛」でなされているかどうか。
そして、選択を「本音」で選んでいるかどうか。この2つがすごく大切だ。

小笠原という島は面積も面積以外も決して大きくはない。
だけどこの島に惹かれて旅行や移住を願う人はとても多い。
来たいと願う人をすべて受け入れていたら、島はパンクしてしまう。
この島の神様は本当に島を愛し、島のために生きる人のためだけにドアを開ける。
だからなぜこの島に関わりたいのかという「動機」がすごく大切だ。

私は島に暮らすのは2度目だ。
1度目に暮らした2013年から2014年にかけては、正直島のことがよくわかっていなかった。
その後島を離れてから何度か島に戻りたいと思ったけれど、機会を与えてはもらえなかった。
結婚や回復や成長も含めて、様々な変化を経た後にこうして島に滞在できる幸運を感じる。
同時に「私は島のためになにができるか」を深く考えるようになった。

私がこの島で一番魅力を感じるのはこの島に生きる人々の姿だ。
そして欧米系と言われる初期の移住者の人々の歴史に一番の魅力を感じる。
私たちは歴史を年表や教科書の中のものと思いがちだけれど、この島には歴史が息づいている。
時代の変化とそこに生きる人々の生きる姿こそが、歴史だと思う。
そうした意味で、この島にいま生きることは過去から未来への橋渡しだと思える。

万物は流転し、すべては変化する。
永遠に生きる存在は、ない。
だからこそ、すべてが愛おしい。

私は写真に出逢わなかったら、いま生きていなかったと思う。
同時に小笠原に来ることがなかったら、こんなに幸福に生きることもなかっただろう。
写真と小笠原は私を救い、助けてくれた。
そしてその過程で出会った全ての人は、私の恩人とも言える存在だ。
だからこそ、私は小笠原に恩返しがしたいとずっと思ってきた。
私に何ができるのか、ずっと考えてきた。

私は小笠原の歴史を未来に伝えたい。
私の写真や文章の技術を使って、いまの小笠原の姿を何らかの形で未来に伝えたい。
1000年後や1万年後に生きる人々に「昔、小笠原という素敵な島があった」と伝えることができたら嬉しい。
日本は災害大国だ。大きな地震や噴火や震災で小笠原に何らかの変化がないとも限らない。
どのような変化が日本や小笠原に来るとしても、いまと今までの小笠原を何らかの形で記録し、未来に伝えたい。
それが私が小笠原にできる恩返しであるように思う。

写真であれ、映像であれ、文章であれ、この島の歴史を記録に残したい。
そして、この島に生きる人々と島を見守る神様に恩返しをしたいと、そう思っている。