あるときの飲みの席、女友達と自己評価についての話になった。
彼女は自分の精神年齢が高いことについて自己評価を高く持っているのだという。
逆に自己評価が高すぎて男の人を寄せ付けないのだろう、とも。
その理屈でいくと私はとても自己評価が低いに違いない。
しかし、と思った。
なにに自己評価を持つかは人それぞれだ。
精神年齢。趣味。教養。才能。社会的地位。財産。
人はなにかに自己のプライドの拠り所を見出す。
恐らくそれでいうなら私は「生きている」ことそのものが自己評価の根源だ。
他の評価、例えば他人からの評価は社会的評価も含めてあまり私にはいらないものだ。
そういう意味で私は自己評価が限りなく高いのかもしれない。
自己評価が高すぎて、他者の評価を軽んじている節さえある。
それがいろいろな軋轢の源かもしれなかった。
逆に他者の評価を糧にして生きている人もいるだろう。
世の中の人はこちらが大半を占めている気がする。
そう言った人々と私は恐らく根本的ななにかがあわないに違いない。
それが悪いとは言わない。むしろ出来ない私には羨ましい。
ただそれが出来ない私という存在は、そういった他者の間で恐らく相当に評価が悪いだろうと思うだけだ。
協調と孤独。自律と自立。
それが両立出来たらどんなに良いだろうに。
そう言えば、私に好意を寄せてくれる人や私が好意を感じる人に対してある一つの共通点がある。
「完全に自己の世界を持っている人」
恐らく、世界中の誰からも切り離されても生きていける人。
もちろんそんなことにはならない程度に皆、協調性や社会性は持っている。
だがその人が世界にたった一人だけ立っているところを想像するとなぜか笑っている。
逆に大勢の人の中で笑っていても心の中で一人泣いているところが見える。
そんな強さと弱さを併せ持つ人が私は好きだ。
もちろん、私もそんな人間でありたい。
強くそう、願う。
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