Hazuki Natuno

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この、水底で

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この二週間、ひどく静かだった。
なにせ携帯が鳴らない。
自分からも使わないし、送らないメールに返信する人もいない。
迷惑メールは相変わらず鵯のようににぎやかだがそれにも慣れた。
いまはただ、本を友として生活している。

感情の制御の苦手な私が、それを必要とされる仕事についている皮肉をつくづく思う。
口にしてはいけないことと口にすべきではないことと口にしていいことの区別が相変わらずわからない。
空気を読めと言われても、たぶんという前置き抜きでは語れない。
たぶん、すべきでない。
思考でなく想像する。
たぶん、それがあっているからしない。
感情の抑圧は制御に不可欠だ。
本当に書きたいことなど、いまはなに一つ書いていない。

「誰かのために創れ」と彼は言った。
その誰かがわからない。
彼は否定した。彼には否定された。
「誰かを傷つけてまで書くほど価値のあることなどあると思えない」と彼は書いた。
傷つけてでも書かずにおれない、と私は書いた。
そのどれもがすべてだ。
嘘はない。
傷があるだけだ。

誰かを思い浮かべるにはコミュニケーションが必要だ。
いまの私にはその気力がない。

アッサムの傍らにあるのは「長いお別れ」だ。
呆然と私が放念するので、ページはなかなか進まない。
まだ「海辺のカフカ」にも「スカイ・クロラ」も待っているのに。
「世界の中心で愛を叫んだ獣」にすらなれないのだ、たぶん。

地図を燃やし、時を待つ。
ただ春の芽吹くときを蝸牛のように。

この、水底で。

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