2021年1月3日、晴れ。
今日も胸が痛い。
胸郭が引き締められるように痛く、呼吸が苦しい。
とても疲れた。誰とも会いたくない。
話したくない。
自分の心の中の感情に、深く深く潜りたい。
発表をしていない未完成の「Resilience」のことが気にかかっている。
きちんと完成させたい。
でも、もう自分の中の何かが変質している。
どういう訳か、私の内面が変化した。
より良い変化だと、わかっている。
でも、上手く言葉にできない。
私はいつも、人と上手く話せない。
一見フレンドリーなのは見かけだけだ。
私は大多数の人間を信頼できないし、他人に安心もできない。
人といるといつも「傷つけられないか」と警戒している。
絶対に傷つけられない。
そんな安心感を感じたのは、過去に3人だけだ。
一人目は、カウンセラーだった。
発病間もない私を10年ほどカウンセリングしてくれた。
彼のカウンセリングは私の虐待に関する治療には一切触れなかった。
だから、私自身の人生の痛みへの本当の意味での治療にはならなかった。
それでも、私は先生に懐いていた。
私を傷つけることを、一切言わない人だったから。
二人目は、人間ではない。
猫だった。名を空海と言う。
私の飼い猫ではない。実家に居ついていた野良猫だった。
母が出て行った後の実家で、しばらく二人で暮らした。
マフィンや甘いものが好きで、騒音が苦手で、散歩が好きな猫だった。
二人で畑道を歩いた。麦畑の中で寛ぐ空海のことをいまも想い出す。
三人目は、この島に住む人だ。
撮影の仕事を通じて知りあった。
彼といると、なぜか安心できた。
共にいて、絶対に他人を利用したり傷つける人ではないと感じることができた。
仕事上の関係しかない人だが、私には得難い人だった。
いまも彼のことを想うと、胸が痛い。
どの人や存在に感じた安心も、私には手に入らないものだ。
安心や愛情は本当に儚くて、永遠に得ることはできない。
得たと思った瞬間には過ぎ去り、消えている。
刹那の安心と束の間の愛情が、胸に残す温かさ。
そのいずれは消える温度に縋って、私は生きている。
寒く痛みに満ちた、現実を。
私に愛情や安心は手に入らない。
それは、わかっている。
それでも、時たま神さまの気まぐれのように温もりが与えられる。
その纔かな温かみを胸に抱きしめて、生きていくのだろう。
なんのために生きるのかも、わからないまま。
どこに行くべきなのかも、わからないまま。