Hazuki Natuno

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自立とは、本当の自分で選択すること

自立とは、本当の自分で選択すること

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おはようございます、葉月です。
3月31日のおがさわら丸で上京します。
4月いっぱい関東に滞在予定です。
しばらく意図的に投稿してなかったので、久しぶりに近況を書いておこうと思います。

1月22日前後にいろいろな出来事が重なり、しばらく別人格のゆかりがメインで日常を過ごしていました。
2月はほとんど私(葉月)が身体を動かすことがない日々でした。
疲れきっていて、意識はあるけれど身体が動かない。
ゆかりが送る生活はある種の夢のようで、「夢を見ながら暮らすってこういうことかもな」とも思いました。

意識が変わると身体が変わるのは本当のようです。
私は25歳のときから、精神疾患の治療のため何らかの薬を飲んでいました。
ただ私に必要な薬はゆかりの脳には不必要なものだったらしく、私の薬が彼女には苦痛でしかなかったようです。
私には東京のクリニックと小笠原の診療所の両方に主治医がいるのですが、ゆかりが主治医たちに相談して私の飲んでいた薬を全て辞めることになりました。
私の飲んでいた精神科の薬は、増やすには注意が必要なのですが減らすことは手順を踏めばできるのだそうです。
それでも19年間飲んでいた薬を一切辞めるというのは、人生の転機でした。

2月に薬を辞める期間、友人の宿に泊まっていました。
宿泊を手配したのもゆかりで、理由は「自宅から環境を変えたほうが、スムーズに薬を辞めることができる」という判断だったみたいです。
宿に宿泊していた期間はほとんどゆかりと学の意識で暮らしていて、私が起きる時間は仕事の時だけでした。
多くても1日3時間ぐらいしか葉月の意識が起きない生活の中で、ゆかりや学に替わっていてもサポートしてくださった宿の方々には感謝しかありません。
本当にありがとうございます。

ゆかりと私は脳の使用している箇所や機能が違うので、替わっている間本当に面白かった。
私にできないヨガのポーズがゆかりにはできるし、私の好きなことがゆかりは苦手で、私にできないことがゆかりにはできる。
彼女のほうが肉体の柔軟性は高いし、視力も良いんです。
その代わり彼女は人工光や化学調味料や刺激物が駄目で、スマートフォンやパソコンや眼鏡嫌いだということがわかりました。
よく「眼が疲れる」と言って、眼鏡を外して生活していました。
ゆかりはパソコンやデジカメも疲れるみたいで、ゆかりが使っているのは葉月とは別の脳なんだなと彼女の意識の後ろで暮らしていて感じました。

3月1日に西町の自宅に帰宅したのですが、途端に寝込んでしまいました。
強い鬱で、ほぼ何もできなかった。
ゆかりが2回ほど起きたけれど、あとはずっと私でした。
滅多にこない大きな鬱の波で、ほぼ何も生活できなかった。
食事もできないし、眠れないし、シャワーを浴びたり、家事もできない。
でも、不思議と自殺願望が湧かない。
心の中で何度も何度も「誰とも関わりたくない。会いたくない」という声が聴こえて、1ヶ月間ほぼ誰とも話さない生活を送っていました。

3月の半ばを過ぎた頃「いま感じている感情が、今の自分の感情じゃない」ということは気づいていました。
多分薬を辞めた影響で、過去に押し殺してきた自分の感情が一気に出てきているとわかるようになりました。
10歳から15歳ごろに実家で受けていた虐待の記憶と鎌倉での結婚生活とが何度も何度も湧き上がりました。
特に母や元夫に感じていた感情がずっと噴出した状態で、正直疲労困憊しました。
でも「これはいま私が感じたほうがいい感情なんだな」ともわかってきました。
とにかく誰とも、主治医とも話したくない状態が続いていたので、ちょっと大変だった。
3月に人と話したのは5回ぐらい。
1週間に1回買い物に行くぐらいで、あとは診療所も行けない生活の中で、ずっと自分の心を見つめるのは新鮮でした。

誰とも話さないで、ずっと感情を感じ続けていると、その感情が話しかけるものが伝わってくる。
ずっと自分の声を聴いていると疲れるので、小説や漫画を読んだりゲームをして暮らしていました。
そうした創作物の言葉がサポートになって、すごく細かい自分の心の声が聴こえてくる。
以前ならカウンセラーや友達に聞いてもらっていた話を、ただ自分で聴く。
自分の心の声を、ただずっと自分で聴く。

それは、とても新鮮な経験でした。

3月下旬に入って心が落ち着いてきて、でもその頃にはほぼ寝たきりで生活していたらから、体力が落ちきっていました。
でも心がどんどん凪いでいきました。
いままで外に求めていたエネルギーが、自分の内側に戻ってくるのがわかりました。
鬱っていうより、凪というほうが近い状態になっていった。

いままで私は「助けたい」「助けてほしい」という欲求がすごく強かった。
人間関係に飢えていて、関係性に依存するところがあった。
でも1ヶ月間人とほとんど話さない生活を暮らしてみて、「全ては自分の心の中にあるなぁ」と思った。

悩みも、苦しみも、
助けも、救いも、
希望も、絶望も、
全部、自分の中に。

外側にあると思っているものは、全部、自分の内側にある。
生きることも死ぬことも、幸せも不幸せも、喜びも哀しみも、全部、選択できる。

全ては自分の中にあるので、その中から何を選ぶか。
自立とは、本当の自分の望みを、自分で選択できるようになることなんだと感じました。

過去に傷つけられた記憶も、苦しみも、嘘じゃない。
でも、そこから立ち直ることもできる。
幸せって単純に「幸せを『選択する』」ってことなんだなって。

明日おがさわら丸に乗ることになって、小笠原や東京の友達に何人かメッセージしました。
会いたい人に「会いたいな」と思えること、連絡を取りあうことが、シンプルに幸せだと思えた。
3月に何度も心の中で聴こえた「誰にも関わりたくない」という声は、静かに消えていました。

昨日、偶然友達と会って、前浜で海を見ながら話しました。
彼女に「葉月ちゃんはいま真っ白なんだね」と言ってもらえて、何だか腑に落ちた。
私が生まれてからずっとあった「助けたい」というジレンマに満ちた願望から解放されて、なんかすとんと自由になれた。

いままで「しなくちゃ」という義務感に縛られて行動を選択してきた。
そういうのは、もうなくて良いんだなって思えた。

いま自分が何をしたいのか、全然わかっていません。
こういう気持ちで上京できるのって、なんか幸せだと思う。

会いたい人に会って、見たいものを観て、行きたい所に行きたい。
本当の自分の本音を大切にする旅にしたいなと思っています。

では、行ってきます。

(写真は2月にゆかりが作った月桃染めのシャツ。私も草木染めにチャレンジしてみたいです)

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