Hazuki Natuno

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そばにいるよ 〜差別をなくすために大切な、たった1つのこと〜

そばにいるよ 〜差別をなくすために大切な、たった1つのこと〜

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1991年に躁うつ病の闘病を初めてから、20年が過ぎた。
この短くも長い年月に、私は様々なことを経験することができた。
私が精神疾患を闘病する中で経験した最も貴重だったことは「沢山の差別を受けたこと」だ。
あまりにも膨大な差別を受け続けてきたので、逆に私は考えるようになった。

「なぜ、差別は生まれるのか」
「差別の根底にあるものはなにか」
「どうしたら、差別をなくせるか」

この文章では、私が多くの差別を受ける過程で生まれた「答え」を書いてみたい。

1:なぜ、差別は生まれるのか

私の人生は多くの生育過程で人と異なっていた。
両親の離婚。家族からの虐待。学校でのいじめ。教師からの暴力。学級崩壊。貧困家庭に育ったこと。
人は、自分と異なったバックボーンに育った人間、異なった価値観を持つ人間を排除しようとする。
本来「違い」には大きな意味はない。
「違い」は、ただ違うというだけならそれは区別でしかない。
海の中で泳ぐハシナガイルカとミナミハンドウイルカが、イルカ同士で種を区別することはあっても、その種の違いを差別しあうことはないだろう。
だが人間の社会では、それぞれの人間が持つ「違い」が無理解や無関心により否認され、その違いに「侮蔑」が加えられたとき、違いが区別から「差別」になる。

2:差別の根底にあるものはなにか

私たちが黒人やアジア人に対して差別をするのは、人間が後付けした理由に過ぎない。
人間は上下や優劣をつけるのが大好きだ。
美醜や金銭の多寡や社会的地位。
いろんな理由をつけて競争している。
その競争のほとんどは、権力者が大衆を支配するために構築している。
学校という空間で例えるなら、教師は生徒を管理するためにテストや偏差値で優劣を意図的に作り、その違いを生徒を支配するために使う。
違いが「尊重」されるなら、差別は生まれない。
差別を育てる土壌には必ず劣った人への「侮蔑」がある。
侮蔑は、権力者が社会を支配するために作った意図的な優劣から生まれる。
差別をなくすために大切なのは、人から人への間の侮蔑をなくすこと、引いては権力者たちが作った意図的な優劣を覆すことが必要だ。

3:どうしたら、差別をなくせるか

あなたと私は違う。男性も女性も、親と子も、上司と部下も、違う。
みんな同じ個性だったら、生まれてきた意味がない。
「違い」は、あなたがあなたらしく生きていて、私が私らしく生きているっていう証拠だ。
違いにわざわざ上下や優劣をつける必要はない。
だから、私の考える差別をなくす方法は、すごくシンプルだ。

「誰も上にも下にも見ない」

これに尽きる。
相手の存在を認め、自分の全存在を認める。
蟻も象も樹も石も人間も、同じように捉える。
自分が理解できない価値観も、苦手な人も、全部認める。
意図的に作られた人工的な優劣を、確固たる意思でスルーする。

人に差別されても、気にしない。
ただし、自分は徹底的に差別に加担しない。
もし、自分の中に誰かへの差別があると気づいたら、ひたすら自分と対話する。
私が誰かを差別するときは、なにか理由や原因があることがほとんどだ。
差別の理由のほとんどは私の内面のコンプレックスや劣等感なので、自分の中の差別に気付いたら自分と対話することで解消する。
人に「差別をやめてほしい」と言う前に、自分が誰かを差別していないかをよく考える。
すると、自分の中にあった差別そのものがいつの間にか消えていく。

4:差別をなくすために大切な、たった1つのこと

差別は、自分の中の弱さから生まれる。
逆に言えば、自分の中の弱さを浄化していければ、他人に対し差別する理由がなくなっていく。
だから、差別をなくすために大切なたった1つのことは「自分の弱さと向きあうこと」だ。

差別をなくすことは、なにも武器を持たないで革命をすることだ。
あるいは先入観という殻を脱ぎ捨て、自由に空を飛ぶことを選ぶことだ。
私はすべての物事から自由でいたい。
だから、これからも自分の中の差別をなくしていきたいとそう思っている。