祖母が死んだ。96歳だった。
12月24日に亡くなったと、クリスマスの朝に母から連絡がきた。
祖母の死を伝えるメールを、私は深く噛みしめるように繰り返し読んだ。
哀しいかと問われたら、返す言葉に詰まる。
私は祖母を愛していた。
同時に憎んでも、いた。
私が祖母に相反する感情を持つことになったきっかけは、彼女からの虐待だった。
言葉で、暴力で、彼女は私をたびたび苛んだ。
その様は、子供が手近なおもちゃを壊す様に似ていた。
彼女の暴力はなんの理由もなく、不意にはじまる。
周りの大人に気づかれないように、巧妙に行われた。
傍にいる祖父も母も、私への暴力に気づくことはなかった。
私は、泣けない子どもに育った。
私が祖母と最後にあったのは、5年以上前のことだ。
最後に会ったとき、私は祖母に聴いた。
「おばあちゃん。私を虐めていたときのことを覚えている?」と。
彼女は一瞬沈黙した後、滝のように自分が幼い頃どれだけ苦労したかしゃべり始めた。
私は彼女が私に振るった暴力を覚えていることと、それを謝罪するつもりがないことを悟った。
それが、私が祖母と話した最期の機会になった。
12月30日、通夜があった。
棺の中の祖母はとても穏やかな顔をしていた。
私は生前、祖母を撮った写真をプリントし、母や母の兄妹に渡した。
写真の中の祖母は幸せそうに笑っていた。
私がどんな複雑な感情を祖母に抱いていたとしても、それは過去のことだ。
祖母は死んだ。
彼女は謝れず、私たちは仲直りの機会を逃した。
母であれ、父であれ、いずれ亡くなるのなら、許したい。
憎しみを抱えて生きていたくはない。
生きているのなら、ただ愛だけを伝えたい。
憎んでいた。だけど愛していたと伝えたい。
こうして書いていて、私の胸を静かな哀しみがよぎる。
静かな海のような哀しみが、私の中を去来する。
私は泣いた。
はじめて泣く、子どものように。