Hazuki Natuno

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闇と光

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私が42歳になってから20時間が過ぎた。
20時間のうちに、何名かの友人と知人から「おめでとう」というメッセージをいただいた。
私は少し照れながら「ありがとう」と返信をした。

私は、私がこうして今日生きていることが不思議で仕方ない。
いま私が暮らす稲村ヶ崎で自殺未遂をしたのは2016年の夏だ。
血を流しながら病院に運ばれた海岸のすぐ近くで、私は夫と暮らしている。

今年の7月、私は2年ぶりに稲村ヶ崎で撮影した。
あの場所で撮るのは、崖から飛び降りる前に撮影して以来だった。
朝の海に光る波は恐ろしく、美しかった。

あの夏のことを想い出すと、いまでも胸が痛くなる。
誕生日を祝ってもらいながらも「助けて」の一言が言えなかった。
大切にされても自壊する器のように、ひび割れた歪な日々だった。

いまもまだ、私は本音がうまく言えない。
結婚して、より一層言えなくなった。
書こうとしても言葉が出てこない毎日は、とても歯がゆい。

「おめでとう」の言葉に「ありがとう」と返すことで、幸せを装う自分がいる。
本当の自分に立ち還れず、足は竦んだままだ。
崖から飛び降りたときから、私は何ら成長していない気さえする。

いまでも私は生まれ育った家で暮らしていた日々の記憶に苦しんでいる。
毒のように、呪いのように、記憶は私を蝕んでいる。
もしも誕生日のお祝いに何が欲しいか聴かれたら、私はこう答えたい。

「忘れるという能力をください」と。

もう、本音を隠して生きるのは限界だ。
どう、生きればいいのかもわからない。
幸せなふりをする生活から、早く逃れたい。