もう、これ以上親に傷つけられる人生は辞めよう。
子どもを傷つけ続ける親に、さよならしよう。
そう、決意した。
母親と縁を切ることにした。
きっかけは簡単で、母が私を傷つけ続ける人生を選んだからだ。
母は、私が10歳から15歳ごろまで私を虐待していた。
長い年月、精神的虐待を振るわれた。
母の虐待と並行して、母方の祖母からも虐待を受けた。
母はいま、母方の父、私にとっての祖父が母のために建てた家に住んでいる。
この家が完成してから、母の虐待は始まった。
私はこの家の前に住んでいた古い家でも、祖母から虐待を受けていた。
また母と父が離婚する前は、父から性虐待を受けていた。
母は、父からも祖母からも母自身からも、私を守ってくれなかった。
先週、私は母に母がいま住んでいる家を「売ってほしい」と電話で話した。
私は母と離れて暮らしている。
だが、母は私が虐待を受けた現場にいまも住み続けている。
母と電話で話すたび、いつも母や祖母から受けていた虐待を思い出していた。
それは私にとって、とてもつらいことだった。
私は母に母がいま住んでいる家を売ってほしいこと、その家がある限り実家には帰らないこと、家を売ってもらうことができない場合は親子の縁を切ろうと思っていることを話した。
何日間か経った後、母に連絡した。
母は私に「家を売りたくない」と言った。
わかりました、と私は答えた。
母と暮らしていたときから、母にとって私は母が幸せになるための「道具」だとわかっていた。
私は道具だった。あるいは奴隷だった。
人間として、子どもとして、大切にされたと感じたことは一度もなかった。
母は私に暴言を振るっていたあの家で、祖母が私に暴力を振るっていたあの家で、一人で死んでいくのだろう。
「ごめんなさい」と口では言いながら、行動はなにも変えない母。
何度「嫌だからその話は聴きたくない」と言っても、洪水のように人の悪口を話し続ける母。
「嫌だから辞めてほしい」と言っても、何度も私が嫌がることを平然とする母。
今回も同じだ。
何度「辞めてくれ」と言っても、母は私に暴言を振るい続けた。
彼女が一番愛してるのは彼女自身だった。
私も私の気持ちも慮られることはなかった。
母は最後まで、私を助けてくれることも、守ってくれることもなかった。
祖母に殴られているときも、父にペニスを舐めさせられているときも、守ってくれなかった。
私が過去の被害に悩み苦しんでいても、平然と「愛してる」と言いながら、暴言を言い続けた。
私はこの世で一番助けてくれない人に、ずっと助けを求めていた。
母は変わらない。
変わる意思がない。
子どもと自分なら自分が大事で、自分のためなら子どもを傷つけて平然としている。
そうした行動を変えずに、口先だけ「ごめんなさい」と言っている。
言葉では謝りながら、行動で傷つけ続ける。
それは謝罪ですらない。
ただの暴力だ。
私は母と最後まで家族になれなかった。
母の心の中に「子どもを幸せにする」という発想は最後までなかった。
残念だが、母はそういう他人なんだろう。
そしてそうしたエゴイズムを持った人間であることを、母は死んでも変える気がないのだろう。
「家を売ってほしい」という言葉は、私にとって初めてで最後の「助けてほしい」という言葉だった。
私は「私を傷つけ続けることを辞めてほしい。助けてほしい」と言いたかった。
母から帰ってきた返答は「家を売りたくない」だった。
家を売ったらホームレスになる。
母はそう、言った。
彼女の頭の中は最後まで、子どもの幸せを考えるキャパシティがないのだろう。
いや、そもそも私は彼女にとって子どもですらないのかもしれない。
彼女の幸せのための道具。彼女に尽くす奴隷。
それが私だった。
私は、奴隷を辞めることにした。
愛してくれない人に「愛してほしい」と願うこと。
助けてくれない人に「助けてほしい」と願うこと。
守ってくれない人に「守ってほしい」と願うこと。
傷つける人に「傷つけるのは辞めてほしい」と願うこと。
母は、私を愛している。
だが彼女の愛には、子どもを守ったり助ける発想がない。
自分の幸せが優先され、相手を傷つけて平然とする。
口先だけ「愛してる」「ごめんなさい」と言いながら、言葉で殴りつけてくる。
それは愛じゃない。単なる暴力だ。
私は、私が大切だ。
だから、これ以上私を傷つける関係はもういらない。
例え親でもしてはいけないことがある。
親だからこそ、辞めるべき言動がある。
その境界を越えてまだ暴言を振るう人と家族でいることはできない。
はじめたら、家族でなかったのかもしれない。
私は、奴隷を辞めよう。
傷つけられ続ける人生を、辞めよう。
幸せになることを、自分に許そう。
私は自分を愛している。
だから、私を傷つけ続ける人との関係は、もう辞める。
私は彼女と今後話さないし、会うこともない。
葬式も出ないし、死んだという連絡もいらない。
「さよなら」は済ませた。
最後まで母は「ごめんなさい」と言っていた。
私は「行動を伴わない謝罪なら、いらない」と答えた。
私は謝るより、行動を変えてほしかった。
彼女に子どもを傷つけ続ける人生を変えてほしかった。
でも彼女は変わらないことを選んだ。
それも、人生だ。それも一つの選択だ。
いままで育ててくれて、ありがとうございました。
子どもを大切にできない人間もいるのだと教えてくれて、ありがとうございます。
私は別の人生を選びます。
さよなら。
子どもを傷つけ続ける親に、さよなら。