私が小笠原諸島で写真を撮り始めて9年が経った。
その間にいろいろなことがあった。
友達が結婚し、子どもが生まれた。
私自身も結婚し、離婚を経験した。
島に住み、島を離れ、また島に暮らし始めた。
何人もの人を被写体として撮らせていただき、時には引き上げを見送った。
七五三や成人式も何人も撮らせていただいた。
学校の卒業を祝い、旅立つ日に撮った写真や動画をプレゼントした。
撮らせていただいた方の幾人かは亡くなった。
泣きながらプリントして、ご遺族に写真を渡した。
9年という年月は写真家が一つの地域に関わる長さとしては、決して長いものではない。
だが、人口2600人弱の離島ならではの出会いがあり、別れがあった。
そのいずれにも立ち会い、見守ってきた。
全て愛おしく、そしてかけがえない日々だった。
写真家として、これほど幸福なことはない。
撮らせていただいた方々に、本当に「ありがとう」と伝えたい。
私が撮影してきた写真には様々な背景があって、物語があった。
言葉で伝えられなかったこともあった。
渡せなかった写真もあった。
撮ることを断られたことや、撮影した後「発表しないでほしい」と言われたこともある。
写真を何かに使うときは「被写体の方に喜んでいただけるか」「お心を傷つけることはないか」を1番に大切に考えてきた。
写真を撮ることは私にとっては特別なことではない。
息を吸うこと、生きることに近い。
だが撮られる人にとってはそうではない。
撮ることに拘泥しない人もいる。
撮られることが非日常の人もいる。
あるいは写真が特別に大切な人もいる。
人によって、家族によって、写真や撮られることへの考え方は違う。
ずっとこの島で写真を撮っていると、人より少しだけ先の『運命』を見ながら撮影している。
その人の天命。寿命。健康。幸福。
どれとして、一定のものはない。
生命は、常に変化している。
全ては無常で、永遠ではない。
一人の人が一つの身体を持ち、同時に一つの島で命を分けあって生きている。
時として新しい命の誕生と来たる死を見つめ、寄り添いながら、撮影してきた。
写真を撮ることは、永遠に愛することに似ている。
千分の一秒の瞬間にシャッターを切るたびに、その人の幸福を願う。
百回のシャッターチャンスと一万枚の写真。
何度撮影しても、同じ瞬間はない。
愛する友人のお腹が膨らみ、家族が増え、皺が増し、いつか笑顔の瞼が閉じる。
今日と同じ明日はない。
やがて来る別れを耐えるために、私は撮っている。
永遠は、存在しない。
だからこそ、私は撮る。
「愛してる」と伝えるために。