Hazuki Natuno

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ナダールのように – 理想のポートレイト撮影について –

ナダールのように – 理想のポートレイト撮影について –

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私は人物の撮影が好きだ。
私は人物撮影のスキルが高い訳ではない。
人工光のライティングもスタジオでの撮影もどちらも苦手だ。
だが、それでもポートレート撮影が好きだ。

私の好きな写真家にナダール(Nadar 、本名ガスパール=フェリックス・トゥールナション)という人物がいる。
1820年4月6日に誕生し、1910年3月21日に没したフランスの写真家だ。
シャルル・ボードレール、サラ・ベルナール、フランツ・リストなど数多くの文化人や重要人物を撮影した肖像写真家として有名な人物だ。
また風刺画家、ジャーナリスト、小説家、気球乗り・飛行技術研究家としても活躍したし、気球による空中撮影や人工光による地下での撮影を初めて行った人物としても知られている。
日本では残念ながらあまり知られていない写真家だが、フランスでは写真関係の美術館で販売される子ども向けの絵本の中で紹介されるほど著名な人物でもある。
私は写真家としての彼を、とても尊敬している。
芸術家の中で尊敬する人間を挙げろと言われたら、迷わず「ナダールとレオナルド・ダ・ヴィンチ」だと答える。

彼の肖像写真の優れたところは、光を効果的に使い、その被写体となる人物の精神性を表現したことにある。
彼の時代で使われていた撮影技法は、ダゲレオタイプに代わり湿式コロジオン法が普及し始めた頃だった。
現代のカメラと違って、撮影には室内での長時間露光を必要とした。
撮影している間に被写体がぶれないように、首や身体を固定する器具が使われていた。
撮影に臨む人物は不自然な環境下で、長い時間をかけて撮られることを必要とする。
だが、ナダールの肖像写真は、技術の変異を飛び越えて、被写体の人間性を心に訴え、伝えてくる。

私がナダールの肖像写真を見つめていて惹かれるのは、写真に写る人々の眼だ。
どの人も何かを問うように、こちらの内面を見つめてくる。
写る人は誰も彼もすでに故人なのに、まるでそこに生きて私に語りかけてくるようだと思う。
おそらく、ナダールの被写体となった人々は彼に撮影される長い時間を通じて、自身の内面へと旅立っていたのではないかと私は感じている。
そして、そうした被写体と撮影者の内面と内面の交感は、鑑賞者への内面へと波及し、時代を超えて私たちに語りかける。
「私」とは何者であるかを。
そうした時間を超越した体験を与えられる作品を私たちは「芸術」と呼ぶのだろう。

私に被写体となってくれた人の、人間性を伝えられるような写真を撮れているかどうか、わからない。
わからないが、その人の死後も被写体となってくれた人の存在を伝え、遺された人に添うような写真を撮りたい。
そのために必要なのは、技術ではなく「愛」と「尊敬」だと私は考えている。
もちろん、撮影に必要は技術はあったほうがいい。
だけどそれ以上に、被写体となる人や存在を尊敬し、尊重し、愛すること。
そうして、撮影し、撮影される時間を共有し、相手の人間性と交流し、感応しあうことを私は大切にしたい。
人は必ず、死ぬ。すべての事象は流転し、世界は流れ、変化していく。
だからこそ、「いま」という時に「あなた」に会えた一期一会を大切にしたい。
そのために、尽くせる努力は尽くし、時間を超えてその人の存在を伝えられるような写真を撮影したいと思っている。

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